京浜急行電鉄が1月にオープンした「京急ミュージアム」が盛況だ。目玉は約90年前の車両「赤い電車」の展示。だが、京急が引き取るまでこの車両は野ざらしのまま放置され、解体の危機にあった。なぜ京急はわざわざ修繕することを決めたのか——。
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1月にオープンした京急ミュージアムの館内

目玉は戦中・戦後の時代に走った「元祖赤い電車」

京浜急行電鉄は1月21日、横浜・みなとみらいの本社ビルの1階に「京急ミュージアム」をオープンした。2019年に創立120周年を迎えた京急が、記念事業の一環として整備したこの施設。「『本物』を見て、触れて、楽しむ」をコンセプトに、京急のこだわりが随所に現れた仕上がりとなっている。ミュージアムの目玉が、1929年に製造された「デハ236号車(デハ230形)」の展示だ。

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ミュージアムに展示されている「デハ236号車」

1899年、関東初の電車として、また日本初の標準軌(新幹線と同じ1435mmの幅の線路)の鉄道として開業した京急は、1905年に品川―神奈川駅間を開業し、東京・横浜の都市間輸送を開始する。開業当初は路面電車に近い運行形態だったが、徐々に路線の高速化を進めていき、1931年に急行運転、1933年に国鉄品川駅(現在のJR品川駅)乗り入れと品川―浦賀駅間の直通運転を開始。現在の骨格を作り上げた。

デハ230形は、京急が高速電車として変貌を遂げた1930年代から、戦中・戦後の激動の時代を経て1970年代まで活躍。そのうち一部の車両は香川県の高松琴平電気鉄道(ことでん)に譲渡された後、21世紀まで走り抜けた歴史的な名車であった。