【小野】はい。そのような違いが出たところで、2つのマウス群に、明暗箱試験を行いました。簡単にいうと、以下のような実験です。

マウスは明るい場所に置かれると、怖がって暗いところに隠れようとします。可哀想なんですけれど、マウスが明るいところから暗い箱に入ると、微量の電流がはしって、ビリッと感じる仕組みを作ったわけです。すると、通常は、しばらくたって次に同じ状況に置かれると、暗い箱に入りたいけれどなかなか入らなかったり、警戒するようになる。学習するわけです。

(左から)脳科学者 茂木健一郎氏と東京医科歯科大学大学院教授 小野卓史氏

【茂木】それで、通常食マウスと軟食マウスの差を調べたんですね。

【小野】はい。明らかな差が出ました。通常食マウスは警戒して暗い箱には入らなくなるんですけれど、軟食マウスは前と同じように箱に入ってビリッときちゃう。

ほかにも、物体位置認識試験といって、物体を4種類置いた観察箱にマウスを入れて慣らし、それを次の日に2カ所入れ替える。マウスは、普通は変化に興味を示して、匂いを嗅いだり、触ったりして調べるんです。しかし、これも、通常食マウスは位置が変わった物体のところで盛んに動くんですけれど、軟食マウスは無関心な様子だった。

つまり、軟食マウスのほうが忘れっぽくなっているのではないかということで、海馬の状態を比べることにしたんですね。

【茂木】記憶を司る海馬を調べれば、噛まないことと脳との関係がわかると。

【小野】ええ。結論を言いますと、軟食マウスでは、海馬において神経細胞であるニューロンの新生や分化が抑制されていたんです。つまり、新しいニューロンが生まれない。そして、神経細胞同士をつなぐシナプスの形成や伝達も抑制されていた。

【茂木】硬いものを食べるか、軟らかいものを食べるかによって記憶力が変わる。我々ヒトは日頃「よく噛んで食べましょう」というけれど、マウスにおいては、明らかな変化をもたらしている。人間にも、似たようなことがあってもおかしくないように思いますね。

【小野】おかしくはないですね。もちろん、動物実験の結果ですから、人間にすべて当てはめられるかはわかりませんが、貴重なデータがとれたと思います。

【茂木】一般の人間の思い込みとしては、記憶力を上げるためには、例えば子どもの頃からパズルやドリルをやればいいんじゃないかということは何となくわかるんだけど、まさか日々の食事でよく噛むというような基本的な生活習慣が、海馬の発達に影響を与えるというのは、ちょっと意外ですよね。口腔の科学って、まだわからないことだらけなんですね。