大和との合弁会社ができて10年後、さくら銀行と合併していた現・三井住友銀行は、米シティグループ傘下にあった日興コーディアル証券(現・SMBC日興証券)を、一部の業務を除いて買収。大和との合弁は解消された。その間、2年近くやった香港支店長時代に四十代を終え、国際部門の統括執行役員となり、ニューヨーク駐在常務もやった。ようやく、歩みたかった国際畑へ戻ったが、「証券」との縁は切れない。

副頭取を務めた後、2013年4月にSMBC日興証券の社長に就任、ついに証券会社のトップにもなる。すぐに、2つのことに力を入れた。1つが陣容の強化。社内を点検すると、国内株式の海外販売が弱い。「海外へも打って出ないと、成長はできない。他の大手証券と競うにも、株式本部長にグローバルな運営ができる人材が不可欠だ」と判断し、外資系証券で株式本部長を務めていた米国人を招く。海外のお客を開拓させる一方、社内では自分が「株だ、株だ」と言い続け、応援した。新規分野への挑戦や意識改革は、リーダーが本気で旗を振り続けなければ、力は結集できない。

もう1つ力を入れたのが、タウンホールミーティング。グローバル企業なら、どこのトップも、拠点の掃除の女性にまで声をかけている。自分も、ニューヨーク時代にやった。一体感は「誠実」にとともに、重要だ。旭川から那覇まで2年間に124カ所、店の面々と対話した。小さな拠点も区別なく回り、率直な声に答え、店の大事なお客に挨拶に回るには、それなりの強い意志と体力を要する。社長を務めた3年のうち、2年まで、そこに傾けた。「至誠無息」だから、不思議ではない。

夢は、日本株の海外販売の強化に続き、海外の資本市場で日本企業が資金を調達する手伝い、いわゆる引き受け業務の展開だ。三井住友銀行には膨大なお客がいて、海外へも広がっている。ここで銀行と連携を強め、お客のニーズに応えたい。後継社長も、銀行の副頭取からきた。夢は、同じだ。

会長になっても、築いた人脈を大切に、国内外を回っている。離別した形となった大和証券の関係者とも、笑顔で語らう。一方で、海外の著名な投資家も、訪ねてきてくれる。夢へ向かって、手応えは、日に日に強くなっている。

SMBC日興証券 会長 久保哲也(くぼ・てつや)
1953年、鹿児島県生まれ。76年京都大学法学部卒業後、住友銀行(現・三井住友銀行)入行。98年キャピタルマーケット部長、2011年、SMBC日興証券取締役、三井住友銀行副頭取、三井住友フィナンシャルグループ取締役、13年SMBC日興証券社長。16年4月より現職。
(書き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)
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