71年3月に卒業して入社。自分に合うのは製造業だと思い、家業との縁で繊維会社を選ぶ。最初の配属先は東京の化学品開発部で、石油化学を基礎から学ぶ。課題を与えられては放置され、自ら学んで考えることを求められた。4年目に米国留学生に選ばれ、ボストンの語学学校からバブソン大の大学院に留学。英語が身に付いた。

留学期間が終わるころ、本社から医薬事業本部への発令がきた。希望先ではなかったが、冒頭に触れたように、帰国して医薬を一から勉強する。ここで「繪事後素」の原点が、できたのだろう。そのまま、医薬ひと筋が続く。

医薬業務部で、リーダーの在り方を学んだことがある。開発へ向けて買ってきた新薬のパイプライン(医療用医薬品候補化合物)が20余りあったが、本部長がすごい人で、2つに絞り込み、他は捨てた。本部長は医薬を扱う研究所に雑魚寝をして泊まり込み、研究者から1人ずつ話を聞いて、決断した。リーダーに不可欠なのはこうした情熱だ、と胸に刻む。

執行役員や専務を経て、2008年6月に社長に就任。内定の記者会見で「31年間、新規事業である医薬医療事業をやってきて、最後まで仕上げていきたい」と約束した後、創立90年で繊維事業の経験がない初の社長として「これから勉強していくが、そう不安は感じない。時代とともに、ニーズは変わっていく。それにきちんと対応していく」と述べた。社内報にも「成長していくには、技術革新に基づくイノベーションが大切。伸ばすべきところには、思い切って資源投入を行う」と書いた。

だが、同年秋、リーマンショックが勃発する。しばらくは、事業構造の改革に注力せざるを得なかった。でも、経営者としての責務を果たす下絵は、描いていた。素材の大量生産から、お客と向き合い寄り添うビジネスモデルへ。また、長期的な大きな夢を追う。

大八木成男(おおやぎ・しげお)
1947年、東京都生まれ。71年慶應義塾大学経済学部卒業後、帝人入社。75年バブソン大学大学院留学、MBA取得。92年医薬営業企画部長、98年東京支店長、99年執行役員、2005年常務、06年専務、08年社長、14年会長。18年4月より現職。
(書き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)
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