国会から離れることも政治家として大きな転機になる

【塩田】来年の参院選が近づいたとき、定数1の選挙区の1人区対策は。

【馬淵】1人区は全国32。候補一本化の話はしなければなりません。

【塩田】その場合、政策・理念の一致という問題はどうなりますか。

【馬淵】細かな政策を言い出したら、キリがない。われわれは与党の中央集権志向に対抗して地域活性化を中心とする野党として打ち出す。そこで一つになれるのではと思います。

一丸の会では、政策や路線を言うと、政党っぽくなるので、なるべく言わないようにしていますが、国民の信を問うには、最終的には政権戦略の中心となる政策を打ち出すことが重要です。立憲民主党も国民民主党も、消費税については財政権全化路線が中心をなす形になっているかもしれませんが、そうではない方向を打ち出していく。自民党の中でもプライマリーバランス(基礎的財政収支)の目標を撤回せよという声が出始めた。当然ですよ。国際公約でも何でもない。消費税増税は凍結です。私は減税まで唱えていますから。

【塩田】一丸の会で、その方向を打ち出すことができますか。

【馬淵】それは難しい。政策で集まれ、と言っていませんから。

【塩田】原発政策とエネルギー問題は。

【馬淵】原発ゼロを目指す。それを、われわれは民主党時代に決めた。それがすべてです。そのためにあらゆる政策資源を投入する。これは変わっていません。この点は電力総連(全国電力関連産業労働組合総連合)、原子力村の人たちも含め、もう仕方ないなというところで折り合いはついています。廃炉の時期が到来すれば、どんどん廃炉にしていく。原子力に依存しないエネルギー社会は構築可能ですから。

【塩田】落選後、議員バッジを失ったことのハンデもあると思いますが、バッジを外してフリーハンドとなったことによるメリットもあるのでは。

【馬淵】ある意味、この状況で、国会から離れることも政治家として大きな転機になると思っています。今は客観的に物事を見ることができます。自分が見失いかけていたことがいくつもありました。それを再び取り戻す時間です。

【塩田】落選で心境に変化がありましたか。あるいは人生観が少し変わったとか。

【馬淵】第218世東大寺別当の森本公誠長老から、聖武天皇の詔の中にある「責めはわれ一人にあり」という言葉をいただいた。為政者はすべての責任を背負うものだ、と。行政の失敗のみならず、天変地異、風水害も含め、すべての責任は自分にあると言って、聖武天皇は大震災の直後、734年に大赦を発布された。為政者はこの言葉を胸に持ちなさいと言われた。だから、落選したとき、私はすべての責任は自分にあると言い続けた。

もう一つは、京都・大原の三千院門跡門主の堀澤祖門導師から、「再誕」という言葉をいただいた。再び誕生。再生でなく、再誕です。人は自ら生まれ出ることはできないが、生まれ出た後、自らを生み直す作業が必要で、それを再誕という。自らに向き合う。自分はどういう使命を持っているのか、徹底して自分に向き合うことによって、初めて人は自らを生み直すことができる。

この二つの言葉が胸に重く響いて、今、まさに自分に向き合うというときです。本当の自分の使命は何か。ばらばらの野党をまとめ上げるのが私の使命、そこに政治家として生きる大義がある、と。野党結集の先頭に立つというのが今の思いです。

【塩田】政治以外の時間ができたと思いますが、どんなことを。

【馬淵】ビジネスをやっています。金集めをしなければいけないので。幸いなことに、かつての経営者仲間からいろいろ頼まれる。M&Aが多く、M&Aのコーディネーターとか、TOB(株式公開買い付け)を含めた海外からの投資案件に対して、日本の企業のオーナーから求められたり、あるいはIPO(新規上場株式・新規公開株)も。逆にIPOを目指していたけど、もうやめようかなという人たちの相談にも乗っています。私には自分のM&Aチームがあります。私が政治家になったので、チームのみんなはそれぞれやっていました。今は大きな案件がきたら、彼らを集めて、分担して仕事を回しています。

馬淵澄夫(まぶち・すみお)
前衆議院議員・一丸の会代表
1960(昭和35)年8月、奈良市生まれ(57歳)。東京都立上野高校、横浜国立大学工学部土木工学科を卒業。三井建設に入社した後、2部上場のコンピューター関連企業ゼネラル株式会社で取締役、北米法人最高経営責任者などを務める。2000年の総選挙に民主党公認で奈良1区から出馬したが、落選する。03年の総選挙で再挑戦し、43歳で初当選(以後、小選挙区で5期連続当選)。民主党政権時代、鳩山由紀夫、菅直人の両内閣で国土交通副大臣、菅内閣で国交相兼内閣府特命担当相、首相補佐官を歴任した。11年と12年の民主党代表選に出馬したが、いずれも敗退した。民主党の幹事長代理の後、野党転落後に選挙対策委員長となり、15年12月から民進党筆頭特命副幹事長の座にあった。17年10月の総選挙で落選。
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