石破茂・元自民党幹事長が自民党総裁選への立候補を正式表明した。石破氏は記者会見で、安倍氏を痛烈に批判し、対決姿勢を打ち出した。9月の総裁選では安倍晋三首相との一騎打ちになるとみられているが、石破氏は劣勢が伝えられている。「安倍一強」をどう崩すのか。ノンフィクション作家の塩田潮氏が聞いた――。(前編、全2回)
写真=時事通信フォト

党員・党友の投票は重い意味がある

【塩田潮】9月に自民党総裁任期が満了し、総裁選が実施されます。安倍晋三首相と石破さんが正式に出馬を表明し、両者の一騎打ちとなりそうな情勢です。

【石破茂・元自民党幹事長】今回、無投票は絶対にあってはいけないと思っていました。3年前、安倍晋三首相以外に誰も立候補せず、無投票になりましたが、自民党にとってはよくなかったのではないかと思っています。私は閣僚、党3役のときは総裁選に出ないという考えで、当時、地方創生担当相だったので出馬せず、結果として無条件信任になった。その後、噴き出したいろいろな問題の底流に、あの無投票再選が影響したのでは、という思いがあります。今回は3役でも閣僚でもないので、自民党綱領の範囲内で政策や党の運営について考え方が違うのであれば、党員に対してそれを問う責務があると思っています。

【塩田】今回の総裁選は、1回目の投票で、党所属の国会議員405人(両院議長を除く)が各1票を持ち、党員・党友票(地方票)として割り振られた同数の405票との合計810票を争う。候補が2人の場合は勝者が当選、3人以上の場合、1位が過半数に届かなかったときは、国会議員票405票と都道府県代表(各1票)の47票の合計452票で決選投票を行うという仕組みです。安倍さんが石破さんを破った6年前の2009年の総裁選は、1回目が国会議員票198、党員・党友票300の争奪戦で、石破さんは圧勝したのに、国会議員票だけの決選投票で安倍さんに逆転負けしました。今回はどんな戦い方を。

【石破】一般党員と国会議員は、投票するときの尺度が違うところがあるだろうと思います。一般党員は誰に投票しても、自分が大臣や党役員になるわけではありません。ですが、国会議員はポストの問題があるし、あるいは選んだ総裁に思いを託すという気持ちもあるでしょう。私は政策と党の運営方針について自分の思うところを述べて支持を得たいと思っています。その点で評価を得たいというほかありませんね。

6年前、自民党は野党で、私は政調会長などで論戦の表舞台に立っていて、それだけ露出も多かった。その後政権を奪還し6年が過ぎて、長期政権を続ける安倍首相のイメージは6年前とは違うだろうと思っています。負のイメージもあるでしょうが、株高や企業の高収益を実現し、安定した支持率を維持している点など、ポジティブな評価のほうが多いだろうと思います。

6年前の総裁選で、国会議員票で負けたのは、私に対する国会議員のみなさんの警戒感が大きかったからではないかと思っています。ですが、「結局、国会議員だけで決めるのか」という地方の不満の声はその後も聞かれました。

この6年間、私は幹事長を2年、閣僚を2年務め、無役になって約2年です。幹事長時代も全国をよく回りましたが、主に選挙の応援で、数はこなしたものの、深く地元に関わったわけではなかった。ですから地方創生担当相を拝命し、自分はこんなにも日本を知らなかったのかという思いが強くあって、退任後も含めて6年間で300を超える市町村を回りました。地方創生はどういう考え方に基づく政策で、地域に何をお願いしたいのか、じっくり話をしてきたつもりです。選挙目的ではなく、人口急減社会、超高齢化社会を迎えた日本で、国民1人当たりの生産性を向上させるために地域が何をしなければいけないか、私なりに語ってきました。

それが総裁選にプラスになるかどうかは分かりません。ただ、日本って何だろうということについては、6年前よりもかなりクリアなイメージを持っているつもりです。それにどれだけ反応してくださるかは、やってみなければ分かりません。

【塩田】総裁選の行方については、安倍首相の陣営が細田(博之)派、麻生(太郎)派、二階(俊博)派の主流3派を固め、さらに岸田派を率いる岸田文雄政調会長が「不出馬・安倍支持」を表明。国会議員票では安倍首相が圧倒的に優位という見方が有力ですが、党員・党友票の行方は読み切れないようです。

【石破】党員・党友の投票には重い意味があると思っています。次の衆参選挙を考えると、広く国民全体の判断に近い党員・党友の選択が大きな意味を持つのでは、という思いはあります。かつて私は「政治の師」である田中角栄元首相から一対一で直接、2回、こんな言葉を聞いたことがあります。「大臣は、努力すればなれる。すごく努力すると、2~3回できる。ものすごく努力すると、党3役にもなれる。でも、総理大臣は努力したからといってなれるものではない」と。田中先生は「努力しないでなれる」と言ったわけではありません。「努力だけではなれない」と言った。そういうことだろうと思っています。