なぜならペイパルを使うことによって、国民は政府のもくろみをつぶし、現地通貨はドルやポンド、円のような、より安全な通貨に簡単に換えられるようになるからだ。

ティールは続けて社員たちにこう語っている。

「この会社が決済ソリューションのマイクロソフトになる、すなわち全世界のための金融OSになるチャンスがあると信じている」

ペイパルに隠された自由至上主義思想

もう一つ忘れてはならないことがある。ペイパルのビジョンは、政府が押しつける通貨のくびきから世界を解放し、国家の影響がおよばない新しいインターネット通貨をつくるというものだ。つまりペイパルのビジョンは、権力のくびきから自由になることをもくろむ、リバタリアン(自由至上主義者)としてのティールの世界観そのものだったのである。そしてその結果、世界初のグローバルな金融系インターネット企業が誕生したというわけだ。

それから15年ほど後にようやく「フィンテック」という概念が定着し、それ以来、銀行、保険会社、ベンチャーキャピタリストは金融部門のデジタル化にこぞって投資するようになった。

一流経営者としてのティール

まだ若いスタートアップであるペイパルのCEOとして、ティールはどのような経営スタイルをとったのだろうか? これをいちばんよく知っているのはデイビット・サックスだ。スタンフォード・レビューの編集長としてティールの後をつねに歩んできたし、ペイパルではCOOとして、ユーザーが急増し売上が伸びていく過程で大きな責任を負っていた人物だ。フォーチュン誌の取材で、サックスは起業家としてのティールの特徴をこう述べている。

「ピーターは実務家タイプではありません。でも戦略上の勘どころを理解し、正しく処理する才能があります」

サックスがよく覚えているのは、ドットコム・バブルが頂点に達していた2000年3月に、ペイパルが1億ドルの増資計画を立てたときのことだ。この状況で、大方の人間がもっと有利な条件を当てこんでねばろうと考えていたとき──。

「ピーターは誰の意見も聞かずに資金調達ラウンドをクローズしました。ところがその数日後に株式市場がクラッシュしたんです。彼があと1週間ためらっていたら、会社は破綻していたでしょうね」

先見の明を持ち、しかもすぐに具体的な行動に出られる人物は多くない。ティールはすぐれた思考家であり、しかも世界に対する強固なビジョンを持ち合わせている。ペイパルが直面したいかなる難題に対しても、彼は強い絆で結ばれたチームとともにただちに打開策を見出してきた。

彼の経営スタイルが機能するための大前提は、彼がペイパルというチームの首脳陣とメンバーに全幅の信頼を寄せられるかどうかだった。スタンフォード時代の親友リード・ホフマンとでデイビッド・サックスがCOOとして脇を固めてくれた。だからこそティールは戦略を練り、資金を調達することに集中できたのである。