「名将」と呼ばれる偉人には共通点がある。「生き方ルール」とでも呼ぶべき信条をもっていることだ。「プレジデント」(2018年2月12日号)では、5人の名将の信条について専門家に考察してもらった。第3回は立花道雪の「部下あっての自分」という信条について――。

若者に手輿を担がせ、敵の中に真っ先に突っ込む

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立花道雪は豊後(大分)の戦国大名、大友宗麟(そうりん)の重臣で西国一の武将と言われた。筑前(福岡)に拠点を置き、宗麟の北部九州制覇に貢献したが、次第に没落していく主家に忠節を尽くし、生涯もり立て続けた。後に柳川藩を開き、「九州にこの人あり」と言われた立花宗茂は娘婿で、道雪は藩祖として尊崇されている。

道雪は家臣への仁愛の情がひときわ深かった。若いとき、「天上にいる悪神」と考えられていた落雷に太刀で切りつけ、雷に打たれて歩行困難になったと言われる。以後、「下半身不随」というハンディを生涯負いながら、前向きに雄々しく生きた自身の生き様によるものであった。

道雪は手輿を100人余の若者に交代で担がせ、敵陣に真っ先に突っ込ませた。窮地に立てば「我を敵の中に担ぎ入れよ。命が惜しければ、その後で逃げよ」と命じた。「エイトウ、エイトウ」と大音声で音頭を取る道雪を中心とした数百の一団は、乱戦にあっても常に無人の境を行くような武者ぶりだったという。気がつけば道雪は大友軍最強の軍団をつくりあげていた。

「汝が剛の者であることは我が一番知っている」

もちろん道雪は単に勇猛なだけではなかった。「人の上位に立ち、人望を得る者は些細なことで厳罰を下したりはせぬ。人が背くもとだ」と重臣を諭している。不自由な体ゆえに、家臣に頼り、その家臣を信じ、また、愛した。武功のない者に「運不運は戦場の常じゃ。汝が剛の者であることは我が一番よく知っている。明日の戦では『汚名返上』とばかりに抜け駆けし、討ち死にしてはならぬ。それは不忠じゃ。命をながらえ、この道雪を守り続けよ」と親しく話しかけ、酒を酌み交わして、家臣に常に温かい目を注ぎ続けた。

「士に弱き者は無きものなり。もし弱き者あれば、それはその人が悪いのではなく、育てることができなかった大将のほうに罪がある。わが家来、またその従者たちを見よ。功名を度重ねないものはいない。他家にて『弱い』とそしられた士があればわが家に来て仕えよ。第一級の士に育てあげてみせよう」と上に立つ者の人材育成についても厳しく言及している。