「将来はロシア人と中国人の島になるんじゃないか」

プロジェクトを進めるうえで、日本人であることは大きなメリットになった。キプロスは、過去何度も、さまざまな国に侵略されている。現在はギリシャとトルコの影響が強いが、その背後にはイギリス、アメリカなどの大国の影が政治的に見え隠れする。少なくともと現地の人々は口々にそう話していた。その点、日本はキプロスに政治的圧力を加えたことはない。

またキプロスでは最近、ロシアや中国からの移住者が目立つ。両当局がビザ付きで家を売っているのだという。キプロスの人たちが「将来はキプロス人はいなくなって、ロシア人と、中国人の島になるんじゃないかな」と冗談交じりに話しているのを何度か聞いた。1974年の分断でギリシャ系は南側に、トルコ系は北側へ家を捨てて移住を迫られた。そのため特に北の当局は、空き家となったギリシャ系の家をロシアや中国からの移住者に売ってしまうというのだ。

私のプロジェクトは政治的な要素を多く含んでいる。だが、私がアメリカ人でも、イギリス人でも、ロシア人でも、中国人でもなく、日本人であることでなんとか進められた部分があると思う。

許可もとれず、参加者も集まらない現実

ただし宗教的な不和を乗り越えることは難しかった。当初、計画したゴールでは、ギリシャ正教の神父とイスラム教のイマムが並ぶ姿を一枚の写真に収めようとしていた。イスラム教側は「ギリシャ正教側が参加するなら可能だ」と言ってくれたが、ギリシャ正教側は「協力は難しい」という回答だった。私は京都の東寺で、仏教の僧侶と神道の宮司が並ぶ姿を撮影した作品をみせて、「日本人の魂を表現した」と説明した。だが彼らは、「キプロスではこれはありえない」といった。交渉は失敗だった。

さらに、両政府で進行していた和平交渉も決裂してしまった。国連に申請していたグリーンラインでの撮影も許可が下りなかった。主役となるはずのギリシャ系とトルコ系のハーフの赤ちゃんも、ナショナリストに狙われる可能性があるとの理由でNGになった。そして、ほかの撮影モデルをみつけるのも想像以上に大変だった。

南北の境界はパスポートを見せれば簡単に行き来ができる。だが多くの人は境界を越えようともしない。そのことを知り、キプロス人の複雑な胸の内を垣間見た気がした。企画に賛同してくれる人は多いのだが、実際に撮影に参加してくれる人はなかなか見つからない。現地の人たちにとって、戦争は完全に終わったものではなく、まだ停戦状態なのだろう。将来一つのキプロスになるというプランは、外国人の独りよがりな企画なのかもしれないと思えてきた。失望感に襲われながら、当初のイメージを何度も修正、変更し、なにができるかアイデアを考え続け、たくさんの人に会い、下手な英語で交渉した。