【田原】IBMではどんな研究を?

ソラコム 社長 玉川 憲氏

【玉川】東京基礎研究所で、ウエアラブル、つまり身につけるコンピューティングの研究をしていました。じつは最初はそれが嫌で、ハードウェアではなくソフトウェアの研究をしたいと所長に直訴しましたね。

【田原】ハードには興味がなかった?

【玉川】子どものころは建築家を目指していて、鳥居みたいな大きなものをつくりたいと思っていたくらいなので、ものをつくることは嫌いではない。でも、大学時代にインターネットが登場してからソフトウェアに魅せられてしまいまして。

【田原】直訴してどうなりました?

【玉川】所長から「3年やらないとわからないから、とりあえずやってみなさい」と諭されました。素直に従って一生懸命やりましたが、結果的に正解でした。腕時計型のコンピュータは、電気回路からソフトウェアの設計まで込み込みです。いま私たちがやっているIoTも、ハードとソフトの両方が必要。あのときハードの経験をしていなければ、いまIoTで起業していないと思います。

【田原】3年して、ソフトウェアの研究に移れたんですか。

【玉川】いえ、じつは途中でプロジェクトがなくなりまして。下っ端の私は知らなかったのですが、当時、IBMはパソコン部門を中国の企業に売却することを決めていました。売却のときは研究部門から予算が止まります。私は研究者として職を失い、ソフトウェアどころじゃなくなってしまいました。結局、上司が常務を補佐する仕事を見つけてきてくれて、半年ほどプレゼン資料をつくったり、常務のスケジュールを調整する仕事をしていました。

【田原】その後、ラショナルソフトウェアというソフトのコンサルティング会社に行きますね。これは出向?

【玉川】はい。IBMでは買収した会社をIBM色に染めることを“ブルーウォッシュ”といいます。ラショナルソフトウェアは米ソフトウェア業界で有名な会社で、私はブルーウォッシュ要員として移籍したのですが、すっかり染められていました。ソフトのコンサルは未経験でしたが、業界自体が若く、5年やれば十分に専門家になれる。必死に勉強して何とかキャッチアップしましたね。

【田原】2006年、アメリカに留学しますね。経緯を教えてください。

【玉川】ITはほとんどアメリカ発で、1度は本場でしっかり勉強したいという思いがありました。また、私は研究一本で、会社の大きな流れはほとんど理解していませんでした。そこでコンピュータサイエンスで有名なカーネギーメロン大学に、ソフトウェア工学とMBAの2つの修士を取りにいきました。2つ並行するだけでかなりハードなのですが、じつは留学中に子どもが生まれて、さらに父親学も同時進行。当時は本当に大変でした。

【田原】アメリカには3年いらした。印象に残っている経験はありますか。