米国留学中に“ギーク”が大興奮

【玉川】じつは私が渡米した06年に、アマゾンがコンピュータのクラウドサービスを始めました。カーネギーメロンは“ギーク”と呼ばれるコンピュータオタクが多いのですが、彼らが「すごいサービスが始まった!」と興奮している。私もさっそく触ってみて衝撃を受けました。

田原総一朗●1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所入社。東京12チャンネル(現テレビ東京)を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。本連載を収録した『起業家のように考える。』(小社刊)ほか、『日本の戦争』など著書多数。

【田原】どういう衝撃?

【玉川】コンピュータのデモクラシーを感じたのです。IBMは大企業に億単位の金額で売ってきた会社。つまり、すでにお金を持っている強者を相手にするビジネスモデルです。一方、アマゾンが始めたクラウドサービスはシェアリングエコノミーのコンピュータ版で、コンピュータを時間貸しにして誰でも安く利用できるようにした。オープンかつフェアにコンピュータパワーを提供するという点で、まさに民主主義だなと。

【田原】コンピュータが一部の人だけのものじゃなくなったということね。

【玉川】そうです。配管の会社をやっている父に頼まれて、帰省したときに会社のホームページをつくったことがあります。まず大きなサーバを買ってきて、セットアップして、OSをインストールするといった作業をするのですが、それだけで帰省の時間がほとんどつぶれてしまいました。でも、アマゾンのサービスなら、ウェブ上のボタンをポチポチ押すだけでホームページをつくれてしまう。コンピュータ業界がガラリと変わる予感がしました。

【田原】留学から帰国後、アマゾンウェブサービス(AWS)の立ち上げに加わりますね。参画したのは、やはりそのとき受けた衝撃が大きかったからですか。

【玉川】アメリカから帰国してラショナルソフトウェアで新規事業の立ち上げをやっていました。当時、ヘッドハンターから毎週のように電話やメールをもらっていましたが、目の前の仕事に集中したかったのですべて無視。ところが休暇で家族と海に遊びに行っているときに、ふと電話を取ってしまった。すると、「AWSを日本でも立ち上げるからやりませんか」。それで、やりたくなってしまったという経緯です。

【田原】立ち上げメンバーは何人ぐらいでした?

【玉川】入ったときはまだ日本の営業マーケティングのチームに1人しかいなくて、私が2人目。社長もいない状態でした。

【田原】AWSジャパンで玉川さんはどんな役割をしていたのですか。

【玉川】当時はクラウドの概念が浸透していませんでした。そこでエバンジェリスト(伝道師)という肩書で、クラウドの技術をいろんなところで説明する仕事をしていました。売れないシンガーソングライターのように、ほぼ毎日、日本全国を旅して歩いていましたね。

【田原】AWSは大きく成長したんですか?

【玉川】私は15年までやりましたが、入社したときは2人だった社員は数百人になっていました。グローバルでいうと、売上高は1兆円以上。17年の時点でAWSはアマゾンの利益の約半分を稼ぐようになっています。

【田原】コンピュータのデモクラシーを実現する事業に加わって、やりがいもあったでしょう。辞めてソラコムを立ち上げたのはどうしてですか。