中国が介入したことで、トルーマン大統領は停戦の方向へかじを切ります。マッカーサーはこれを非難し、両者の確執はいっそう高まります。さらにマッカーサーは、とんでもない主張をはじめます。中国「義勇軍」の補給ルートになっている中国東北部に50個もの原爆を投下し、さらに中国国境に放射性コバルトを散布して、中国軍の侵入を防ごうというのです。

トルーマン大統領は温厚な調整型の政治家でしたが、そのトルーマンもマッカーサーには我慢がなりませんでした。「なぜ、ルーズヴェルト(前任の大統領)はあのうぬぼれ屋を登用したんだ?」と、トルーマンは言っています。

イギリスなどの同盟国も、マッカーサーの資質にはっきりと疑問を呈しています。トルーマンは国務長官ディーン・アティソン、国防長官ジョージ・マーシャルとも相談していますが、彼らもまた「マッカーサーはふさわしくない」と答えています。トルーマンはついにマッカーサーの解任を決意します。

1951年4月19日、マッカーサーはワシントンで退任演説を行い、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」という有名な言葉を発しています。最後の最後まで、パフォーマンスづくしでした。

絶たれた大統領選への野望

マッカーサーは「自分は『中国の介入はない』と言ったことはない」と主張していました。しかし、ニューヨーク・タイムズ紙にトルーマンとマッカーサーの会議録が掲載され、マッカーサーが「中国の介入はない」と断言していることが明らかになります。これは政府のリークによるものでした。当初、マッカーサーはこの件に関し、名誉毀損(きそん)だとわめいていました。議会の公聴会で、民主党議員がこの件をマッカーサーに追及したところ、マッカーサーはまともに答えることができませんでした。

虚言癖が明らかになりながらも、マッカーサーは国民から絶大な人気を誇っていました。マッカーサーは翌年に控えていた大統領選に出馬するため、全国を遊説してまわります。最初は各地で熱狂的に迎えられましたが、聴衆は次第にマッカーサーの中身のない演説に飽き飽きしていきます。マッカーサーが話せば話す程、彼の人間性の浅さが露呈し、人々の支持は急速に失われていきます。

最終的に、共和党の大統領候補者に指名されたのは、マッカーサーの元部下のドワイト・アイゼンハワーでした。