ご存じ、『ゴーマニズム宣言』の小林よしのり氏と、東大教授の井上達夫氏が一冊丸々、論戦を繰り広げた本である。井上氏は法哲学者で、最近では『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』という語り下ろしの本が好評を博した。日本国憲法の九条削除論などでも知られている。

本書は、保守の小林氏とリベラルな井上氏の思想の差異を明らかにする趣旨で組まれている。通常、保守やリベラル概念の解説本では、何が「真正の保守」か、といった説明が主体になる。何が正しい価値観で、何がそうでないのかを丁寧に解説することで、あなたも立派な保守やリベラルになれるといったふうにだ。

しかし、本書は対立する両者を平等に配置しながら、あくまでも穏やかに互いの誤解を解いていく。そして最後に納得しきれない違和を篩に残し、両者はまた穏やかに次の話題に進む。こうした丁寧な対談は稀だ。

議題は、第1部「天皇制」、第2部「歴史認識を問う」、第3部「憲法九条と思想の貧困」といった大きな枠組みに従って、多様な観点を網羅しつつ話が流れるに任せるのだが、一つひとつの論点は明確で、そして具体的だ。

それを可能にしているのは、揺れ動きながらも、具体的な人間や事象から遊離しない小林氏のセンスだろうし、井上氏の鉄槌のような原理原則なのだろう。議論は、井上氏の歴史や思想史の解説によっても肉付けされていく。

物事をどう見るべきかを知りたい読者に対して、思想の押し付けをするのはたやすいだろう。もともと聴きたいメッセージを、聴きたい耳に届けているからである。

あるいは、「○○しなくていいんだよ」と安易な策を提示できたらどんなに楽だろうか。人々は解を求めているように見えてそうではない場合が多く、求めているものは単に共感であったり、自分のあらかじめ行った選択を正当化する理由だったりするものだ。

けれども、この、似ているけれど異なる思想に立脚する2人の論戦は、そんな押し付けには走らず、関心の赴くままに、違和を違和として残し、どんどん深まっていく。

もちろん、両者の思想が唯一正統なリベラルと保守の言論だというわけではない。そもそも、人間というものは少なからずその両方でできているものだ。また、リベラルと一口に言ってもよりグローバルに近い人もいれば、ローカルに近い人もいて、私は、井上氏はローカルに近い方なので、小林氏とここまでウマが合うのではないかと睨んでいたりもする。政治と経済どちらに得意分野があるのかでも違うだろう。

最後に、井上氏の爽快感に満ちたあとがきを読んだとき、読者の私もホンモノの論戦に接した満足感を覚えた。

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