農作は国内に固執せず世界に羽ばたくべきだ

完全自由化か国内農業保護か――。国論を二分しつつあるTPP問題。(Bloomberg/Getty Images、PANA=写真)

完全自由化か国内農業保護か――。国論を二分しつつあるTPP問題。(Bloomberg/Getty Images、PANA=写真)

プロの専業農家はJAなど相手にしない。農薬も肥料も近所のホームセンターで買ったほうが安いし、どんなにいい作物をつくっても平均的な値段でしか買ってもらえないから、むしろJAを嫌っているぐらいだ。専業農家だけならJAなど必要ないわけで、JAと兼業農家は互いに持ちつ持たれつの生命維持装置と化している。

兼業農家とJAの関係は農業利権だけで農政が成り立ってきた証しであり、集票マシンとして使うことに終始して国内に閉じ込めてきた農政の貧しさが日本の農業を先細らせてきたのである。

そもそも日本の国土が農業に向いていないという問題もある。日本は国土の90%が山地であると中学時代に習ったはずだ。

私はかねてから「農業は世界の最適地でやるべき」と主張してきた。肥沃なチェルノーゼム(黒土地帯)が広がるウクライナ、国土の25%が肥沃で温暖な草原地帯パンパのアルゼンチン、アメリカのカリフォルニア州やアーカンソー州、オーストラリアのビクトリア州、中国東北部、タイなど、世界中の農業地帯を自分の目でつぶさに見てきた結果、そう考えるのだ。

ある農業最適地に日本の農家の人を連れて行ったことがある。見渡す限りの広大な土地に、考えられないほどの少人数で大々的に機械化された農業を営んでいる姿を見て、彼らは感動のあまり涙を流していた。

そうした大規模農業と比べたら日本の農業など家庭菜園のようなもの。生産性は比較にならない。たとえば日本で「1キロ500円」でつくっているコシヒカリが、オーストラリアでは「1キロ25円」ほどで生産できるのだ。