それでも公訴時効が廃止されたことで、被害者や遺族の願う“逃げ得”の根絶に大きな効果が出るのなら意義はある。ただ、法制審の部会では警察庁刑事局長が次のように率直な想いを吐露している。

「捜査本部事件の解決率は約8割ですが、うち9割は1年未満で検挙となり、それ以降は検挙(数)が伸びないのが現実です。廃止したら飛躍的に(犯人検挙の)数字に変化が出るとは考えにくい」

事件現場で長年捜査に携わってきた警視庁の現職幹部も、私の取材にこう打ち明けてくれた。

「被害者やご遺族の気持ちは痛いほどわかりますが、率直に言って事件捜査は初動がすべて。時効がなければ犯人を検挙できるというのは極めて稀でしょう」

だとすれば、今回の公訴時効廃止は「犯人が罰も受けずに逃げているのが許せない」という被害者感情への配慮が最大の眼目ということになる。しかし、果たして刑事司法という社会の根幹システムをそうした理由で歴史的変革に向けてしまったのは正しい道だったのか。

振り返ってみれば、最近における日本の刑事司法は、厳罰化の方向へと舵を切り続けてきた。少年や交通犯罪の刑罰は相次いで強化され、無期懲役はほとんど終身刑と化している。世界的には廃止が圧倒的趨勢となっている死刑も、その判決と執行が急増傾向だ。

一方で殺人など凶悪犯罪の発生件数は実のところ、近年まったく増えていない。そうした中で進む厳罰化の潮流も、やはり背後には被害者感情がある。05年には犯罪被害者等基本法が施行され、08年には重大事件の裁判に被害者が直接参加する制度も創設された。法廷で被害者らが検察官の横に座って被告人質問を行い、量刑に関する意見を述べることまで可能になったのだ。椎橋教授はこう言う。

「日本の犯罪被害者支援は欧米に比べて大きく遅れているといわれてきましたが、最近の10年ほどで肩を並べ、ある部分では追い越したといえるかもしれません。特に裁判への被害者参加は、日本独特の制度です」

一方の岩村弁護士の話。

「最近の動きを見ていると、国が本当の意味で被害者の状況を把握して支援のシステムを築くのではなく、刑事司法手続きの中に被害者も入れ、推定無罪のはずの被告人と対峙させて私的に解決させるという方向に向かっている。被害者の痛みは政治や社会が別の形でそれをフォローし、立ち直るための道を考えるべきです」

愛する人を無惨に奪われた犯罪被害者遺族らの心情には、もちろん最大限の配慮が必要だろう。しかし、刑事司法が雪崩を打って厳罰化へと突き進み、130年ぶりに公訴時効が廃止されるに至った今こそ、疑義を唱えてきた人々の言葉にも真摯に耳を傾ける必要があるように思えてならない。

(尾崎三朗=撮影)