市場縮小、後継者不足……日本の伝統工芸が生き残る道は厳しい。会津漆器をつくる企業が、遠くヨーロッパの老舗ブランドで受け入れられている理由とは? 日本を支える優良な中小企業を、識者が詳しく紹介していく連載「発掘!中小企業の星」。第2回は会津若松の漆塗りメーカー、坂本乙造商店の強さの秘密に迫ります。
漆塗りの技術は“ものづくり日本”の誇りのひとつ。しかし、伝統工芸の世界に閉じ込めていては、衰退の一途をたどるほかありません。
創業116年、会津塗りの坂本乙造商店(福島県会津若松市)も例外ではありませんでした。しかし、3代目の坂本朝夫社長は、海外、特に欧州からの引き合いに活路を見出しました。欧州の老舗ブランドとの交流のなかで確信したのは「現代に生かしてこそ、伝統は継承される」――そのココロを、中堅企業論が専門の磯辺剛彦・慶大大学院教授が3つのポイントで解き明かします。
原点に回帰し、工芸品から工業品へ
2000年ごろから、私は地方の中堅中小企業の訪問調査を続けています。これまでに訪問した会社は100社ほど。いわゆる成熟衰退産業が多いのですが、いずれも旧来の枠組みや因習にとらわれず、独自に新たな市場を切り開いてきた会社です。
会津若松市の坂本乙造商店もそのひとつ。従業員30人の小さな会社ですが、伝統工芸として著名な会津漆器の加工技術を、工業製品に転用して活路を開きました。
高級万年筆のデスクセット、記念商品の一眼レフカメラや時計の限定モデル、高級ヘッドホンなど、いずれも名立たるブランド、メーカーの製品をこれまで約500点も手掛けてきたそうです。
1900(明治33)年の創業で漆の精製と加工を家業としてきた同店が、漆の工業製品化に着手したのは70年代後半。現社長の坂本朝夫氏が3代目を引き継いでからです。
総じて日本の伝統工芸は、70年をピークに急激に衰退します。大量生産で安価な日用品や家具、服飾品が普及したこと、洋風化する生活に伝統工芸品がなじみにくくなったことが、大きな背景としてありました。
もともとは、漆の精製と問屋を営んでいた同店。坂本氏によると「漆器づくりは先代が始めたが、地元では後発だったので廉価品しか扱えなかった」そうです。しかも当時、坂本氏は衝撃的な場面を目にします。
「会津漆器は、よく結婚式の引き出物などに使われていたのですが、あるとき結婚式帰りの人が、引き出物を駅のゴミ箱に捨てているのを見たんです」
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