お金のかからない「おいしい生活」とは

「牛肉資本主義」とは、なんとも変わったタイトルである。自分自身もそう思う。

しかし、今、この本を出して世に問うことは、私にとって必然だ。

それはどういうことか。

『牛肉資本主義』(井上恭介著・プレジデント社刊)

もともと私は、「マネー資本主義」というタイトルの番組制作・書籍化に携わっていた。取材のきっかけは2008年9月に起きた世界金融危機、リーマンショック。お金でお金を生み出し、マネーの額のみを豊かさとし、経済をまわしていく仕組みの根源とは何か、徹底的に追い、それがいわば「砂上の楼閣」であることを見切った。

それから私は「マネー資本主義」一辺倒でない経済や豊かさ、あるいは生き方の模索を始めた。マネーだけでなくエネルギーの巨大システムの磐石さもまた「砂上の楼閣」であることを思い知った2011年の東日本大震災の直後、転勤で働くことになった広島で、私は、模索してきたことの一つの答えを見つけた。「里山資本主義」である。

山や川、あるいは海の、目の前にある「活かされていない資源」を使って豊かに暮そうとすると、実は「お金を介さない」ほうが「豊かさの度合い」が上がる。自分の小さな菜園で採れた野菜。市場に出荷してお金にかえようとすると、二束三文。場合によっては、量が少ないと文句を言われた挙句、引き取ってももらえない。ところが逆に、とれたてを自分で食べれば野菜を買わなくてすむし、余った分を漬物にして近所におすそ分けすると、「お返し」にと、炊き込みご飯をもらったり、山で採れた山菜やマツタケをもらったりと、いいことずくめ。お金のかからない「おいしい生活」がどんどん広がっていく。

なのに私たちは、必死でお金を稼ぐために働き、お金のかかる都会生活で少しでも「安くておいしい」ものを食べようと、大手チェーンの「牛丼」をかきこむ。ここ数十年ずっと1杯300円台という、素晴らしいシステムを、いわば当たり前のこととして、「うまくて安くて早い」この食べ物、あるいはそれに象徴される「グローバル経済のたまもの」に依存し続けている。

おそらくこの依存体質は、当分続くだろう。それが当たり前の世の中に生きつづけることになるだろう。しかし、本当のそれは未来永劫、私たちを支えてくれるのだろうか。そんなに安心して、身をゆだねていていいのだろうか。

そうではないはずだ。少なくとも私たちは「マネー資本主義」、あるいは「グローバル資本主義」のあやうさについて学び、知った上で防衛策を考え始めなければならない。先に述べた「里山資本主義」の考え方、手法を学び、やり方を身につけながら。

それが「マネー資本主義」、「里山資本主義」を経て、「牛肉資本主義」という変わったタイトルの本を出すに至った私の、考察の道筋である。