2015年12月4日(金)

過酷な時代を乗り越え、ラグビー「サクラセブンズ」は、なぜ花開いたのか

スポーツ・インテリジェンス【第39回】

PRESIDENT Online スペシャル

著者
松瀬 学 まつせ・まなぶ
ノンフィクションライター

1960年、長崎県生まれ。早稲田大学ではラグビー部に所属。83年、同大卒業後、共同通信社に入社。運動部記者として、プロ野球、大相撲、オリンピックなどの取材を担当。96年から4年間はニューヨーク勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。日本文藝家協会会員。著書は『汚れた金メダル』(文藝春秋)、『なぜ東京五輪招致は成功したのか?』(扶桑社新書)など多数。

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松瀬 学=文
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自費でこなした草創期の遠征

歴代の女子ラグビーの日本代表選手、代表チームから外れた選手たちが、冷たい夜風をほおに受けながら、スタンドで感涙にむせんでいた。7人制ラグビー(セブンズ)の女子日本代表『サクラセブンズ』がリオデジャネイロ五輪の切符を獲得した。かつての過酷な環境の時代を垣間見てきた筆者として、こんなうれしいことはない。

女子ラグビー界を引っ張ってきた苦労人、日本ラグビー協会女子委員会の岸田則子委員長はしみじみと漏らす。

「これまで厳しい環境でも、必死で女子ラグビーをやってくれていた人たちの存在があるから、今があるんです。それを忘れてはいけません。これ(五輪出場)はすごく画期的なこと。これで女子ラグビーをもっと普及させていきたい」

日本の女子ラグビーの歴史は浅い。1983年、東京の多摩川河川敷のグラウンドで初のラグビー講習会が開かれ、88年、日本女子ラグビー連盟が発足した。いわば草創期は平成元年(1989年)からというわけだ。

「女子がラグビーをやるの」とよく、揶揄されていた。選手たちはでこぼこの河川敷で練習し、クラブハウスがないグラウンドで試合をして、近くの銭湯に駆けこんだこともあった。合宿や遠征は自費参加である。

チーム数は少なく、カネや施設も持たず、あるのは女子選手たちのラグビーへの情熱だけだった。まだ職場の理解も薄く、合宿や遠征に参加するため、代表選手たちが定職に就くことは難しかった。

その流れが、2009年、セブンズの五輪競技入り決定で変わった。日本協会が女子セブンズの強化にも乗り出し、他競技から身体能力の高い選手が続々、転向してきた。サクラセブンズの主将の中村知春は大学時代にはバスケットボール、竹内亜弥はバレーボール、桑井亜乃は円盤投げをそれぞれしていた。

環境は整備されてきた。日本協会や所属企業などの支援のもと、年間2百数十日、合宿や遠征が繰り返された。スコッド(代表候補)としての継続強化、これがセブンズでは一番効いてくる。

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