自費でこなした草創期の遠征

歴代の女子ラグビーの日本代表選手、代表チームから外れた選手たちが、冷たい夜風をほおに受けながら、スタンドで感涙にむせんでいた。7人制ラグビー(セブンズ)の女子日本代表『サクラセブンズ』がリオデジャネイロ五輪の切符を獲得した。かつての過酷な環境の時代を垣間見てきた筆者として、こんなうれしいことはない。

女子ラグビー界を引っ張ってきた苦労人、日本ラグビー協会女子委員会の岸田則子委員長はしみじみと漏らす。

「これまで厳しい環境でも、必死で女子ラグビーをやってくれていた人たちの存在があるから、今があるんです。それを忘れてはいけません。これ(五輪出場)はすごく画期的なこと。これで女子ラグビーをもっと普及させていきたい」

日本の女子ラグビーの歴史は浅い。1983年、東京の多摩川河川敷のグラウンドで初のラグビー講習会が開かれ、88年、日本女子ラグビー連盟が発足した。いわば草創期は平成元年(1989年)からというわけだ。

「女子がラグビーをやるの」とよく、揶揄されていた。選手たちはでこぼこの河川敷で練習し、クラブハウスがないグラウンドで試合をして、近くの銭湯に駆けこんだこともあった。合宿や遠征は自費参加である。

チーム数は少なく、カネや施設も持たず、あるのは女子選手たちのラグビーへの情熱だけだった。まだ職場の理解も薄く、合宿や遠征に参加するため、代表選手たちが定職に就くことは難しかった。

その流れが、2009年、セブンズの五輪競技入り決定で変わった。日本協会が女子セブンズの強化にも乗り出し、他競技から身体能力の高い選手が続々、転向してきた。サクラセブンズの主将の中村知春は大学時代にはバスケットボール、竹内亜弥はバレーボール、桑井亜乃は円盤投げをそれぞれしていた。

環境は整備されてきた。日本協会や所属企業などの支援のもと、年間2百数十日、合宿や遠征が繰り返された。スコッド(代表候補)としての継続強化、これがセブンズでは一番効いてくる。

五輪切符は戦略的強化と「ひたむきさ」の賜物

浅見敬子ヘッドコーチ(HC)が就任したのは2011年。1年目にはフィットネス(体力)に重点を置き、2年目にフィジカルなどのストレングス、3年目にはスピード・トレーニングを加え、4年目の昨年からラグビーの戦術の落とし込みに入った。走り込みや筋力トレーニングだけでなく、食事、睡眠、からだのケアも充実。

結果、選手たちのからだはたくましくなった。宮崎善幸ストレングス&コンディショニングコーチは「食事やリカバリーをしっかりとるなど、選手のからだづくりの意識が以前とは全然違います」と説明すれば、浅見HCはこう、言い切った。

「やっぱり、強いからだが強い心をつくるんだなということがはっきりしました」

もちろん、これも選手たちが「素直」「ひたむき」だったからである。「勤勉」だったからである。この5年、いろんなことを犠牲にして、ラグビーに没頭してきた。五輪キップは、そのご褒美といってもいい。

男女そろっての五輪出場決定となった。セブンズの強化を担当する日本協会の本城和彦オリンピック・セブンズ部門長は「結局、強化に特効薬的なものはない」と言う。

「チームがスタートした時、しっかりしたシナリオを書いて、コーチングスタッフはそれに沿ったトレーニングを提供して、こつこつ強化していくしかない。選手がそれについてきた。大事なことは、そこだと思う」

サクラセブンズの世界での現在地は「10位前後」だろう。ニュージーランド、カナダ、豪州、英国のトップ4との差はまだまだ大きい。まずは個人のフィジカル、フィットネス、技術から鍛え直さないといけない。アタックで抜く力、パススキル、タックルでは倒し切る力。実戦強化のため、リオ五輪アジア予選日本大会閉幕の翌日、サクラセブンズはワールドシリーズに出発した。

日本の目標は「五輪金メダル」である。これは浅見HCら選手たちが、5年前のチーム発足時から公言してきた。ぶれていない。

中村主将は言った。

「ここがスタートラインと思ってやっていきます」

サクラセブンズが花開いた。あと9カ月。桜満開となるのは、来年のリオ五輪で優勝した時となるのだろう。

松瀬 学(まつせ・まなぶ)●ノンフィクションライター。1960年、長崎県生まれ。早稲田大学ではラグビー部に所属。83年、同大卒業後、共同通信社に入社。運動部記者として、プロ野球、大相撲、オリンピックなどの取材を担当。96年から4年間はニューヨーク勤務。02年に同社退社後、ノンフィクション作家に。日本文藝家協会会員。著書に『汚れた金メダル』(文藝春秋)、『なぜ東京五輪招致は成功したのか?』(扶桑社新書)、『一流コーチのコトバ』(プレジデント社)など多数。2015年4月より、早稲田大学大学院修士課程に在学中。