2011年の大阪府知事選と大阪市長選のダブル選挙では松井一郎府知事と橋下市長が当選して、大阪維新の会が圧勝。府市一体で大阪都構想を推進することを有権者が支持したわけで、このときに都構想を一気に加速して住民投票に持ち込んでいれば、結果は違ったと思う。「あいつが江戸に攻め上がってきたら大変だ」という緊張感が橋下市長の影響力の源だった。地元で圧倒的な支持を集める地域政党、大阪維新の会の総大将の立場で、あくまで大阪の改革を中央が邪魔している部分を攻撃し、永田町や霞が関に手直しを迫る、というポジショニングが絶妙だったのだ。

しかし理念も政策も異なる政党と合併して中途半端な全国政党になったことで、潮目は変わる。共同代表の橋下市長は大阪都構想だけに注力できなくなり、国政を意識した言動がやたらと増えた。行き着いた先が従軍慰安婦問題をめぐる一連の騒動である。

説明すればするほど深みにはまった(2013年5月、外国人特派員協会で慰安婦問題発言について釈明する橋下氏)。(写真=AFLO)

彼がやりたい大阪都構想と従軍慰安婦問題は何の関係もない。ところがOB杭の外(ゴルフコース外)でクラブを振り回すような無用な発言をして、国内外から強烈なバッシングを受けてしまう。私自身は国政に進出した時点で見限ったのだが、この場外乱闘で墓穴を掘って、橋下市長は急速に求心力を低下させた。

大阪市の住民投票における橋下市長の敗因は何だったのか。一つ大きかったのは堺市に逃げられたことだ。10年に大阪維新の会が示した構想は、大阪市と堺市、2つの政令指定都市を廃止・再編、大阪都下に20の特別区を設置するというものだった。

しかし大阪都構想の是非が争点になった13年9月の堺市長選は、反対派の現職市長の圧勝に終わる。市民にNOを突き付けられて堺市を都構想に取り込めなくなったのは大打撃だった。大阪市と堺市が一緒になって都構想の中核を担えば、2つの政令指定都市が合併するようなものだから、これは強い。規模の経済が働くから、広域行政のあらゆる面でメリットが出てくる。

これが大阪市だけとなると大幅なスケールダウンで、5つの特別区に分割して大阪市をなくすといっても、大阪市と同じ機能を5つの特別区が担うのだからメリットは出てこない。「不幸せ(府市合わせ)な2重行政をなくす」は大阪都構想のアピールポイントだが、市が特別区に替わっただけでは2重行政は何も解消されない。2重行政をなくそうとするなら大阪市のままでも十分に可能で、この点では反対派の主張のほうが正しい。たとえば東京都は区ごとにやっていたゴミ収集を都に一本化した。そうしたことはいくらでも現状でできる。堺市を引き込めなかったことで、大阪市民だけにYES/NOを問う、つまり大阪市民にとっての近視眼的なメリットデメリットが争点になり、内向きの住民投票になってしまった。