八重樫は5月19日の臨時株主総会で取締役社長代行に就任した。同じく公募で選ばれた取締役副社長代行の丸子秀策(48歳)の役割は、グローバルな開発と生産拠点を展開する舵取り役だ。

丸子はソニー出身。東大工学部卒後、エンジニアとしてソニーに入社。シリコンバレーに赴任した経験を持ち、ICカード事業を手がけるフェリカネットワークス取締役を務めていた人物だ。応募のきっかけは、妻と2人で見ていたテレビのニュースで社長公募を知ったことだ。

「じつはユーシンという会社の名前さえ知らなかったのです。テレビを見て妻が『これっておもしろそうじゃない』と言う。私もおもしろいねと同調し、そんなノリで応募したような感じです」(丸子)

副社長代行になった今、丸子は新たな舞台で意欲満々だ。「異文化の人である自分が今までの経験を生かし、技術面での新たな革新を起こしたい」と意気込む。

「ユーシンが培ってきた技術を継続していくだけでなく、お客さんにとってよりよい方向に展開していくにはどうするのか。メンバーと議論しながら方向性を見つけていきたい。改善や改良で難しい場面に直面したとき、私が入ることで何らかの化学反応を起こし、新たな革新につなげる役割を果たしたいと思っています」

そしてもう1人、八重樫の秘書役となって海外セールスを補佐するのが、社長公募に応募して秘書に採用された田村朋子だ。大卒後、外資系航空会社のCAを経て広告代理店の役員秘書を務めていた。TOEICは915点。応募の動機は「英語や年齢など規定の応募資格をクリアしていると思った」(田村)からという単純なものだった。

「たまたまテレビで田邊社長のインタビューを見たのがきっかけです。別にMBAの資格を求めているわけではないし、出す資格はあるなと思い、履歴書を出してみたのです。その後、一次面接の通知の手紙が届いたときは、本当に通過したのか半信半疑でした」

ところが一次面接も通過する。田村は「驚きました。本当だろうかと、二次面接の案内の手紙を10回も読み返しました。手紙は今も大切にしまっています」という。二次面接後、秘書として採用を打診され、入社することになった。

彼女のどういう点が評価されたのか。田邊は「英語が堪能なうえに、秘書検定も一級を持っている。それに物腰の柔らかさやスタイルもいい。新社長が外国に出かけるときに付き添っていっても様になる」と絶賛する。

だが、英語もペラペラなら容姿も抜群という才色兼備の彼女に対して、社内の女性陣からはジェラシーゆえの反発もあったと田邊は言う。しかしそこは田村も心得ている。田村の信条は「忍耐」だ。「1日でも早く生まれた人、1日でも早く入社された先輩から一言一言学びながらお仕えするのが私の役割だと思っています」と、そつがない。(文中敬称略)

※すべて雑誌掲載当時

田邊耕二●社長 1934年生まれ。56年日野自動車入社、61年退社。同年ユーシン入社、65年取締役、76年専務を経て、78年より社長を務める。2006年最高顧問に就任。08年2月に社長に復帰し、現在に至る。社長就任からの33年で売り上げを4倍以上に成長させた。

八重樫永規●社長代行
1962年生まれ。東京大学法学部卒。86年外務省入省。在ロシア大使館総務・政務参事官、在ジュネーブ代表部WTO交渉担当参事官、本省領事局政策課長、在ニューヨーク日本国総領事館総務部長を経て2011年ユーシン入社。

丸子秀策●副社長代行
1962年生まれ。東京大学工学部卒。86年ソニー入社。米国ETAK,Inc.出向、ソニーICカードシステム事業部、フェリカネットワークス出向、同社にて企画部統括部長、事業戦略部長、取締役を経て2011年ユーシン入社。

益森 祥●専務執行役員
開発本部本部長。
1981年にユーシン入社後、一貫して技術畑を歩んできた。
新経営陣をバックアップしていきたいとコメントする。

(小川 聡、田辺慎司=撮影)