時事通信フォト=写真

公明党代表 山口那津男(やまぐち・なつお)
1952年、茨城県生まれ。78年東京大学法学部卒業後、82年弁護士登録。90年衆議院当選。2001年参議院当選。党参院国会対策委員長、同政務調査会長、防衛政務次官などを歴任し、09年9月より現職。


 

弁護士出身で1990年に初当選。早くから公明党のプリンスとして期待された。冷静で議論は論理的。声を荒らげることはない。温厚で折り目正しい。秘書にカバンを持たせるときでさえ、お礼の言葉を忘れない。

一方、選挙は、冷静な氏が熱々になるほどの激戦だった。94年に新進党に参加し、公認候補として迎えた96年の衆議院選挙は、テレビでもお馴染み、自民党平沢勝栄氏と旧東京17区で対決。党総力を挙げた戦いだったが敗北してしまう。99年には自民党との連立政権が発足するが、平沢氏の公明党批判は激しく、2000年の選挙では雪辱を果たすべく激突。因縁の対決として注目されたが再び敗北。ここで衆議院を断念。翌年から参議院へ鞍替えし、09年、代表に就任した。

自民党とはすっかり蜜月だ。公明党にとっては政策実現。自民党にとっては岩盤公明票との選挙協力。政権の旨みを分け合いながら、自公連立も安定している。旨みは手放しがたいようだが、自民党の「下駄の雪」と揶揄されることもしばしばだ。

ところが久しぶりに存在感を発揮するときが来た。安倍総理肝いり、集団的自衛権の行使容認に向けた議論で、氏は声高に慎重論を訴えて抵抗した。公明党は「平和の党」がスローガン。非公式の場では、安倍の説明を「抽象的で曖昧」と批判した。「安倍総理の説明はまだ不十分」という意見も多い。公明党への期待も高まった。

しかし、結局、解釈変更の閣議決定を止めることはできなかった。「自衛権の発動要件を厳しく限定した」と自画自賛する公明党議員もいるが、憲法解釈ですらあっという間に変更する安倍政権だ。文字面の制約は意味がないとの見方が大勢だ。結局「下駄の雪」。政権の水は甘すぎるようだ。

(時事通信フォト=写真)
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