平野国臣(ひらの・くにおみ)
1828~64年。福岡藩士として江戸、長崎に赴任する。31歳で脱藩し、志士として活動、僧月照と入水した西郷を助け出した。薩摩藩主への建白書『回天管見策』を著すが、下関で捕縛され、出獄ののち生野にて挙兵。京都に護送され、37歳で斬首された。
心を奮い立たせる三カ条
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心を奮い立たせる三カ条

幕末維新の英傑といえば、普通は坂本龍馬や西郷らが浮かぶ。私自身、ファンの一人だ。が、それと並んで平野国臣の名を挙げるのは、たとえ有名ではなくとも、最初に行動を起こした人々を大切にしたいという思いが強くあるからだ。

歴史は大きな成果を導いた人々がメーンキャストで語られるが、そこに至る過程には多くの先達の足跡があり、総体が維新の運動だったと私は思う。野球に例えれば、9回裏に逆転満塁ホームランを打った選手だけがヒーローではなく、満塁ホームランが生まれるには、凡退も含めてそれまで打席に立ち、守備についた全選手の思いと行動が必要なのだ。

企業の歩みにしてもそうだ。神戸製鋼では他社が容易に真似できないオンリーワン製品や技術に力を入れている。チタン製品もその一つだ。特に航空機用では世界的な評価を得ている。しかし、60年前に一人の技術者が試験的に始めたときは見向きもされなかった。

それでも技術者とその仲間は実験を続けた。次第に実用化の道が見え始め、研究室から工場へ移り、営業部ができ、高収益事業へと育った。最初に種をまいた人たちの思いと行動がなければ、世界に誇る「神戸チタン」は生まれなかった。

さらに、神戸製鋼は「ITmk3(アイティー・マークスリー)」という画期的な製鉄法も開発した。既存の高炉法では8時間かかる銑鉄製造を約10分に短縮。コストも生産規模も圧縮できるので需要の増減に柔軟に対応できる。

この製法は鉄鉱石中の酸素を取る還元剤にコークスを使わず、鉄鉱石と石炭を粉砕して団子状にし、ある温度域まで加熱すると、短時間で還元・溶融・スラグ(不純物)分離ができることを1人の技術者が十数年前に見つけたことに始まる。当時、鉄は溶鉱炉でつくるのが常識で、まったく理解されなかった。それでもあきらめずに続けた研究が環境の変化とともに評価され、花開いた。

もちろん、新しいアイデアのすべてが成功に至るわけではない。「千三つ」の世界だろう。農作でも10の収穫を得るには1000の種をまくという。ならばそんな無駄はせず、初めから10の種をまけばいいではないかというとそうではなく、1000の種をまくから最後に10が残る。最初の1000の種を大事にするからこそ、オンリーワンの製品や技術が生まれる。その発想で幕末維新の歴史を見るとき、平野国臣の志士としての7年間の軌跡が一条の光を放つのだ。

これは私自身、研究所に長く籍を置いた技術畑であることも影響しているのかもしれない。昔は若手相手に酒を飲みつつ国臣の話をし、困難にめげない情熱と行動の大切さを説いたりしたこともある。司馬.太郎作品を通して国臣を知っている社員が意外といたのはうれしいかぎりだった。

2009年4月に社長就任。会社の発展を支える一人ひとりの平野国臣を大切にする。それが経営者の役割だと心に誓っている。