主君には裏切られ、頼りにしていた兄貴分に捕らえられて、大変な苦悩に見舞われたはずです。しかも牢といっても座敷牢ではなく、薄暗い地下の土牢です。その影響で健康を害し、特に片足が不自由になってしまいます。最後は家臣に救出されるのですが、幽閉は1年にも及びました。

彼はそこで自分の甘さを反省するとともに、命の有限さ、貴さを痛感し、武ではなく知で勝負する真の意味の軍師になるきっかけをつかんだのではないでしょうか。

現代に生きるわれわれも、病気や解雇、左遷、出世競争に乗り遅れるといった不遇の事態に必ず直面します。そこでめげてしまうのか、何かをつかんで立ち上がるのか。官兵衛を見習うべきでしょう。

【理由5】
●現代ビジネスマン――定年後にどう生きるかが課題
●官兵衛――老いてもうひと花咲かそうとした

官兵衛の最後の主君は秀吉でした。その秀吉に、官兵衛は44歳のときに隠居願を出しています。まだ若いのになぜ隠居を望んだのでしょうか。こんな説があります。

あるとき、秀吉が側近に向かって「自分亡き後、天下を取るのは官兵衛だ」と発言したことを知った官兵衛が、本気で警戒されて害を加えられたらたまらないと、先回りして隠居を願い出たというのです。

その後、秀吉が亡くなり、関ヶ原の戦いを経て天下は家康のものになります。その関ヶ原の戦いの直前、官兵衛は奇妙な行動に出ます。九州で兵を挙げ、豊前、豊後を攻略してしまうのです。が、関ヶ原の戦いで家康が勝ったと知るや、自分が切り取った九州の地も家康に譲り、隠居の身に戻ってしまう。

本当に家康を助けようとしたのか、もう一つの対抗勢力をつくろうとしたのか、官兵衛の本意が何だったのかはわかりません。でも、もし「秀吉に警戒されたから隠居した」のが本当なら、ずっとナンバー2に甘んじてきた自分の力を最後に試してみたいと思ったとしても不思議ではありません。

戦国時代は「人生50年」の時代でした。いまは80年の時代です。定年後にもう一花咲かせたいと思う人に、官兵衛のあきらめない生き方は大きな勇気を与えてくれるのです。

NHK「軍師官兵衛」チーフ・プロデューサー 中村高志
1966年、富山県生まれ。89年、NHK入局。大河ドラマ「風林火山」ではプロデューサーを務める。2007年よりチーフ・プロデューサー(制作統括)。手がけた主な作品にスペシャルドラマ「坂の上の雲」など。
(構成=荻野進介)
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