夢はジャンボ旅客機のパイロット
高校生の頃は、ジャンボ旅客機のパイロットになりたいと思っていました。そのためには宮崎市にある航空大学校を卒業し、航空会社に就職する必要があります。現在では女性のパイロットもいますが、当時は男性だけに許された職業でした。運輸省(現・国土交通省)まで1人で出かけて「合格したら航空大学校に入学させてほしい」と交渉したところ、「航空大学校は、全寮制であり、女性の受け入れはできない」と断られました。「自家用飛行機の免許を取得すればいい」とも勧められましたが、私が憧れ目指していたのは、何百という人を乗せて飛ぶジャンボ旅客機でした。
「たとえ試験で合格しても、受け入れることはできない」と言われていたにもかかわらず、受験だけはすることができました。実際の試験結果は、今となってはわかりませんね。
パイロットの夢は叶いませんでしたが、飛行機が好きだったので、世界中を駆けまわる職業に就きたいと漠然と思っていたのが、外資系企業を選んだ理由の1つです。
革新的なチャレンジが好き
高校時代からそうでしたが、「大きなことを成し遂げたい」という思いはいつもありました。まだ誰も経験していない仕事と聞くと、尻込みするより先に、チャレンジ精神が奮い立つのはそのせいかもしれません。
現在担当しているインサイドセールス事業も、最先端のビジネスモデルを目指す意味で挑戦的な仕事です。通信やWebを活用した非対面の営業形態を提案していくもので、お客様の好みや生活習慣を把握し、的確な商品情報の提供ができます。例えば、TwitterやFacebookなど、ソーシャル・メディアから取得するビッグ・データを活用する方法もあります。
特に注力しているのは、モバイルを活用した“場所を選ばない営業”です。私の名前をGoogleで検索してもらうと、検索結果のトップに私の「デジタル・ビジネスカード」が出てきます。ページを開くと、電話やメールのメニューがあり、チャットもできます。このような新しいツールを駆使した営業活動を提案しているのです。
目の前のチャンスとどう向き合うか
これまで先駆者がいない仕事、国内市場で初めてという仕事をいくつも経験させてもらいましたが、大きな仕事にチャレンジするときにまったく不安がないといえば嘘になります。IBMのアジア・パシフィック・サービス・コーポレーション(APSC)に出向が決まったときも英語の不安はありましたが、いざ赴任してみると英語を習得する機会は多く、外国人の同僚も手助けしてくれました。
上司から「やってみなさい」と難しい仕事を任されるのは、その上司がその人ならできると判断したからです。自分では無理だと思っても、きっと乗り越えられるものです。これは自分が管理職になり、部下に仕事の機会を与える立場になるとよくわかります。
もしチャレンジして失敗に終わっても、その次を考えればいいのです。失敗したからといって、そこでキャリアが終わるわけではありません。迷っているときにはチャレンジを選ぶ。そこから新しい道が開けるのです。
私の経験でいえば事業売却先企業への転籍がそうですが、ある日突然、自分の置かれている状況が一変することも起こりえます。その瞬間に慌てるのは当然ですが、次の瞬間、目の前にあるチャンスとどう向き合うか。その姿勢が最も大切なのだと思います。