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逃げ回る子を的にするのは教育上アリなのか
A【現役小学校教員・松尾英明】人気があることと、すべての子どもにとって良いものであることとは、同義ではありません。確かにドッジボールは一部の子どもにとって楽しい遊びであり、エネルギーを発散する手段にもなります。
しかし、その一方で、この種目によって苦痛や不安を引き起こされる子どもたちがいる事実を見過ごしてはいけません。
まず、ドッジボールがもつ独自の特徴を考えてみましょう。ドッジボールは、強い子どもが優位に立ち、弱い子どもを「的」にするという特徴的構造をもっています。これは、狩猟や攻撃的な行動を模倣した遊びの形態であり、社会で必要とされる「思いやり」や「協力」といった価値観とは逆行しています。また、ボールを受ける際の身体的な痛みや、逃げ回るだけの「消極的参加」に追い込まれる子どもが存在することも、教育的な視点から見過ごせません。
さらに、学習指導要領からドッジボールが除外された理由も考慮すべきです。この種目には、次の運動へと発展する教育的価値が乏しいことが指摘されています。「ゴール型」「ネット型」「ベースボール型」という体育教育の枠組みにも合致せず、ドッジボール特有の攻撃性を助長しかねない懸念があるのです。
特定の子どもを「的」として狙い、ボールをぶつけるという行為、それを上手に行うことが「勝利を目指す戦略」とされる環境は、他者への共感や協力といった社会的スキルの育成に逆行する恐れを含んでいます。
「人気がある=全員にとって望ましい」という考えは、ドッジボールに限らず教育現場の全般において慎重に検証されるべきです。
学級で「みんなでドッジボールをしよう」と提案されると、「みんな」という言葉に強い同調圧力が伴います。「みんな」が良いと言っているのだから自分も参加しなくては、という空気が生まれ、結果的に苦手な子どもが無理に参加することになります。
そして、内心では「放っておいてほしい」と思っている子どもたちの存在が、教育者や大人の目には見えなくなりがちです。
これらの点から、ドッジボールは一部の子どもたちには楽しい体験となるかもしれませんが、全員に強制すべき活動とは言えません。ドッジボールを本当にやりたい子ども同士の「有志」で集まって遊ぶのが妥当でしょう。大切なのは、他の子どもたちに配慮した選択肢を考え、多様性や個性を尊重する活動を提案することです。例えば、もっと穏やかな遊びや、子どもたちそれぞれが自分のペースで楽しめる活動を取り入れることが望ましいでしょう。
「みんなでドッジボール」を当たり前とする前に、本当に「みんな」にとってプラスになるのかを考え直すべきではないでしょうか。
「みんな」に代表されるような集団活動を大切にする視点はもちつつ、「みんな」を構成する最小単位である個を犠牲にしないこと。このバランス感覚こそが学級経営において最も求められるところなのです。



