私たちは悠仁さまの等身大の姿を見たい
それに対して私たちは、悠仁さまの姿にはそれほど慣れ親しんでいない。作文で受賞された、通訳なしで英語で外国のお客さまと歓談された、筆頭著者として論文を書かれて国際学会に参加された、など、悠仁さまについて漏れ伝わる情報は、恐れ多いものばかりだ。公開される夏休みの宿題なども、非常によくできたものばかりであった。
ただ、その一方で、作文の剽窃騒動があったり、「英語が苦手なため、教科書レベルの質問にも固まってしまうことがある」などの報道がなされたりすると、いったい何が真実なのか、混乱してしまうのである。
しかし、外国の客人を英語でもてなすことができるような高校生が、いったい日本に何人いるのだろうか。そんな超人的な素晴らしさを、悠仁さまに求めている国民が何人いるだろう。むしろ国民としては、等身大の悠仁さまの若者らしい姿を拝見したいのだ。
幼い頃、幼稚園に行き渋り泣く悠仁さまを、紀子さまが手話で励まされ、親指を立てて応えられた様子を伝える写真などは、非常に可愛らしかった。紀子さまがお怒りになり、その後報道規制がなされたとのことであるが、残念なことである。
無礼であるかもしれないが、むしろ悠仁さまの「できる」姿よりも、「できない」様子も含めた、子どもらしい等身大の姿を見せてきていただきたかった。私たちは皇室に、素晴らしさや偏差値の高さを求めているのではない。
悠仁さまが大学生活を謳歌されることを期待したい。
1968年生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。東京外国語大学外国語学部准教授、コロンビア大学の客員研究員などを経て、武蔵大学社会学部教授。専門は現代社会学。家族、ジェンダー、セクシュアリティ、格差、サブカルチャーなど対象は多岐にわたる。著作は『日本型近代家族―どこから来てどこへ行くのか』、『女性学/男性学』、共著に『ジェンダー論をつかむ』など多数。ヤフー個人