「自分を愛しているかい?」
それは、西洋でも事情は同じだったかもしれません。
私は、ミュージカルが好きでよく観に行きます。映画にもなった『屋根の上のヴァイオリン弾き』(原題: Fiddler on the Roof)は好きな演目の一つで、日本とロンドンで何度も観ています。その中で、中年の主人公が妻にむりやり、「愛している(I love you.)」と言わせるシーンがあります。
描かれるのは、ウクライナ農村のユダヤ人一家で、主人公の中年男性が妻に向かっていきなり、「自分を愛しているかい?(Do you love me?)」と問いかけます。妻は、とまどい、「愛しているなんて考えたこともない」と答えます。
このミュージカル自体が、19世紀末のウクライナ社会で、結婚形態が「お見合い結婚」から「恋愛結婚」へと推移していくプロセスを描いています。
その中で、「love(※英語のミュージカルなので)」という言葉でお互いの関係を把握し行動しようとしている子ども世代と、生活に手一杯で「愛」なんて考えたことがない親世代のギャップが展開され、それがこのミュージカルの一つのテーマになっています(ユダヤ人差別もテーマの一つですが)。
「愛してる」なんて言ったことがない…
つまり、欧米社会でも、「I love you.」と口に出すのが恥ずかしかった時代があった、ということです。
このミュージカルが初演されたのは1964年のニューヨークにおいてですが、戦前に東ヨーロッパの農村からアメリカに来た移民夫婦の中には、「愛してる」などと言ったことがない人たちがたくさんいた。一方でアメリカで育った移民の子どもは、結婚すれば「愛している」と毎日言う社会に生きている――それが、このミュージカルの背景であり、大ヒットした一因かもしれません。
柳父さんが述べているように、日本では、小説や評論、歌謡曲やポップスの歌詞に、愛が頻出します。しかし、実際に日常的に「愛している」と口に出している人がどれだけいるでしょうか。
次回は、その問いの答えから始めましょう。2023年2月に私が行なった調査結果を基に、私たちが「愛情をどのように表現しているか」について、その実態を明らかにしていきたいと思います。
1957年、東京生まれ。1981年、東京大学文学部卒。1986年、東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。専門は家族社会学。学卒後も両親宅に同居し独身生活を続ける若者を「パラサイト・シングル」と呼び、「格差社会」という言葉を世に浸透させたことでも知られる。「婚活」という言葉を世に出し、婚活ブームの火付け役ともなった。主著に『パラサイト・シングルの時代』『希望格差社会』(ともに筑摩書房)、『「家族」難民』『底辺への競争』(朝日新聞出版)、『日本の少子化対策はなぜ失敗したのか?』(光文社)、『結婚不要社会』『新型格差社会』『パラサイト難婚社会』(すべて朝日新書)など。