風俗店を平気で勧めるような男性記者が紙面を作っている
性暴力の記事化が長年避けられてきたことと、根深い男社会である新聞社の体質とは、完全に切り離せるものだろうか。『週刊金曜日』2023年11月17日号に、新聞の「品位」などとは裏腹な話が載っている。元毎日新聞記者の韓光勲氏が、地方支局の男性上司に過労を訴えたら、「息抜きに風俗に行けば」と言われたという。「少し前に結婚すると報告したばかりなのに」と男女平等の価値観が崩れ、人格が否定されるようなショックを受けて、その後退社に至った。
私自身、新聞社で働いていたとき、わずかだが男性記者のそうした言動を目にしたことがある。昔のことだと思っていたので、いまだに残っていることに驚いた。そうした言動が許容されてきたことは、閉鎖的で「岩盤のような男性主観」が根付いている新聞社の体質がどのようなものであるかを物語っている。
河原氏によると、性暴力という言葉で朝日新聞などのデータベースを検索すると、日本最初のセクハラ訴訟が起きた1980年代の終わりごろから散見されるようになり、その後小さな山が1990年代初めや2000年前後にあった。社会面というより、暮らしや家庭面での展開が多かった。「女性記者の増加が背景にある」と河原氏は話す。
ジャニーズ問題を追及できなかったのも「男性主観」のせいか
たとえ現実に性暴力が起きていても、それを問題だと考えて書こうとする記者がいなければ、報じられることはない。性暴力を大きな社会問題として喚起してきたのは、そうした女性記者たちの力だ。河原氏が指摘したような意識の壁は、「今もメディアの中に存在する」と、東京新聞記者の坂田奈央氏は、河原氏の会見リポートに書いている。取材の際に、自分の体験が「ネタ」のように扱われた、と辛く感じている被害者もおり、報道する側の課題は多い。
こうした状況を考えると、ジャニーズ児童性虐待問題で、新聞が長年沈黙を続けていたことも、不思議ではない。報道してこなかった理由としてよく、「芸能ゴシップだと思った」「男性の性被害に対する意識が低かった」「警察による捜査がなかった」「訴訟リスクを恐れた」などが挙げられるが、実情は、「岩盤のような男性主観」の下で、新聞が報じるには値しないニュースだ、と無視してきたのではないだろうか。
MeToo運動を広げたハリウッドのワインスタイン事件を暴いたのが、ニューヨーク・タイムズ紙の女性記者たちだったこと、そして男性編集幹部らが彼女たちを全面的に支えていたことを考えると、日本の新聞社との違いはあまりにも大きい。