デジタル競争力で世界No.1(※)にランキングされるデンマークでは、デジタルを推進するにあたり、市民参加型の対話をベースにしたルール形成を重視してきた。その中心に「倫理(エシックス)」を据えていくという重要な役割を果たしているのが、国立のデンマークデザインセンターだ。
NEC執筆メンバーによる書籍『AIビジネス大全』の発刊を記念して2023年2月1日に株式会社Laere(レア)と協力して開催されたシンポジウム「AIの社会実装とデジタルを真の競争力に転換する秘訣」では、同センターCEOのクリスチャン・ベイソン氏、NECフェローの今岡仁氏、世界経済フォーラム第四次産業革命日本センターの隅屋輝佳氏、SDGsデジタル社会推進機構事務局長の木暮祐一氏を迎えて、活発なディスカッションが展開された。

※国際経営開発研究所(IMD)による「世界デジタル競争力ランキング2022」

デンマーク発展の背景に「デザインの力」

デジタルおよび倫理と密接な関係にある顔認証技術の研究開発と社会実装を担ってきたNECフェローの今岡仁氏は、デザインを推進力とするデンマークの動きに注目している。ここでいう「デザイン」とは単なる意匠の創造ではなく、社会のあり方そのものの創造を指す。

デンマークデザインセンター(以下、DDC)は、企業や行政がデザインを通して新しい価値を生み出すための支援を行う国立機関であり、主要ミッションとして、倫理や人間の意志が包括されたデジタル社会をデザインしようと取り組んでいる。

クリスチャン・ベイソン 氏
デンマークデザインセンター(Danish Design Center) CEO
デンマーク政府が支援する非営利財団デンマークデザインセンターCEO。前職はデンマーク政府の教育省と雇用省、経済成長省の3省庁が共同設置しているフューチャーセンター Mindlab代表。大学の講師や政府機関のアドバイザーとしても活躍。著書に『Expand: Stretching the Future By Design』や『Design for Policy』『Leading Public Sector Innovation』などがある。

イベントはDDCでCEOを務めるベイソン氏によるキーノートスピーチで幕を開けた。まず指摘したのは、近年のパラダイムシフトだ。2015年に国連がSDGsを採択し、持続可能な開発を目指す目標を「人類全体が共有すべきもの」として掲げたのは、象徴的なできごとである。

「新しいパラダイムは、企業や株主の利益だけを追求するのではなく、社会全体をより良い世界にする活動にシフトすべきだというものです。ダボス会議(世界経済フォーラム)の議論も、シェアホルダー(株主)資本主義からステークホルダー(あらゆる利害関係者)資本主義へとシフトしています。企業は市民のため、社会や政府のため、自然環境のため、そして自分たちのため、広い視野で価値創造を行うべきです」(ベイソン氏)

ベイソン氏は、デザインの創造性や手法を使うことで、より持続可能な世界を創っていくことができるだろうと主張。

さらに、とりわけAIの時代には「デジタル倫理」が競争力になるだろうと強調した。

「“技術的に可能だからといって、実際に実行すべきなのか”を考えなければなりません」(ベイソン氏)

この考えを互いに共有するツールとして、DDCは「デジタル・エシックス・コンパス」を開発した。これはデジタル製品やサービスの開始時や継続時に、それが倫理的であるかどうかやユーザーの不利益などについて、ステークホルダー同士でチェックするためのツールであり、デジタル先進国であるデンマークが重んじてきた「人間中心設計」という文化の流れを汲んで作られている。技術的な観点だけでなく「安易な仕掛けで製品に中毒性を持たせようとしていないか?」「ユーザーのネガティブな感情をもてあそぶデザインではないか?」といった「振る舞い」のデザインに関する問いかけも含まれる。

デジタル・エシックス・コンパスはDDCのウェブサイトで無料公開されており、マネジャー、技術者、デザイナーなどの思考拡大を促すツールとして活用されている。書籍『AIビジネス大全』では、その解説と日本語訳を掲載。

日本におけるDXおよびAIの取り組みと課題意識

キーノートスピーチに続いて、NECフェローの今岡仁氏、世界経済フォーラム第四次産業革命日本センターの隅屋輝佳氏が加わり、パネルディスカッションが展開された。モデレーターはSDGsデジタル社会推進機構事務局長の木暮祐一氏が務めた。

今岡 仁 氏
NEC
NECフェロー
顔認証技術で米国立標準技術研究所(NIST)主催のベンチマークテスト(精度評価)で世界No.1評価を5回獲得。令和4年度科学技術分野の文部科学大臣表彰受賞。NECフェローとして生体認証にとどまらず、デジタルビジネスに関するテクノロジーを統括。2022年よりAI・アナリティクス事業統括部長を兼任。東北大学特任教授(客員)。著書に『顔認証の教科書』(プレジデント社)がある。

まず今岡氏が、今回のイベントを開催する契機にもなった自らの経験を紹介した。顔認証技術の研究を始めた当初、技術面の追求に重きを置いていた今岡氏の考えが大きく変わったのは2009年、NECの顔認証技術が米国の国立標準技術研究所(NIST)のベンチマークで世界第1位を獲得した頃だった。

「どうすれば顔認証が世界で使われるようになるかを考えるようになった際、人種によって認証の精度が異なる問題や、データの取り扱い、特に個人の顔の特徴やナショナルIDなどをどう扱っていくかといった深い問題に直面しました。それ以降、倫理について勉強しながら現在に至っています」(今岡氏)

隅屋氏は、日本のデジタル競争力ランキングが低位に沈んでいる事実を受け、ランキングを上げるためには技術的見地ばかりを考えてしまわないことが大切だと指摘。技術以外の面で、デジタル先進国デンマークから学ぶことは多いと強調した。

「どのような社会像を目指すのか、まず私たちは自身に問わなければなりません。現状に対してデジタルをどのように適用しようかと考えがちですが、デジタルの本当の強み・価値とは、その目的自体もアップデートできることだと思います。今までの範囲を越えて、もっといろいろなニーズに応えてインクルーシビティを実現できるツールがデジタルなのです」(隅屋氏)

DXの推進やAIの社会実装に欠かせないアジャイルガバナンス

DXの推進やAIの社会実装でデンマークを手本とするにあたり、まず同国における民主主義発展の経緯から理解しておきたい。

隅屋輝佳 氏
世界経済フォーラム第四次産業革命日本センター(C4IRJ)
アジャイルガバナンスプロジェクトスペシャリスト
環境系ベンチャー企業・青年海外協力隊を経て、NPO法人ミラツクの研究員としてオープンイノベーションプロジェクトに参画、株式会社LIFULLでブロックチェーンを用いた事業を開発。2019年イノベーターが制度設計者、専門家、市民とつながり、協働で法制度設計を行う社会の実現をミッションに掲げた一般社団法人Pnikaを立ち上げる。2020年より世界経済フォーラム第四次産業革命日本センターのアジャイルガバナンスプロジェクト担当。現在は2023年4月のG7デジタル・技術大臣会合に向けた「アジャイルガバナンスサミット」開催に奔走している。

「デンマークの民主主義は、“民主主義は対話である”という認識に基づいて発展し、文化の一部になっています。そして長い歴史によって、我々は共創では多様な利害関係者を巻き込むことが重要であることを知っています」(ベイソン氏)

前述のデジタル・エシックス・コンパスの開発も、さまざまな利害関係者との対話を積み重ねたという。このツールに今岡氏が着目したのは、「倫理」という言葉の持つ固いイメージを解きほぐして説明できると感じたからだった。

「実際にテクノロジーを現場で使う立場からは、法律やガイドラインだけでは不十分だと感じていました。ともすればなおざりになりがちな、倫理の対話を促進するための有効なツールとして紹介しています」(今岡氏)

次に話題はアジャイルガバナンスへと移った。2023年4月に日本でG7デジタル・技術大臣会合が行われるが、その関連イベントとして「アジャイルガバナンス・サミット」が開催され、新しいガバナンスモデルについて議論した結果をとりまとめて公式提言する予定となっている。主催する世界経済フォーラム第四次産業革命日本センターでは、アジャイルガバナンスを次のように説明する。

急激な社会変化や技術発展に柔軟に対応するガバナンスモデル。マルチステークホルダーによる、外部変化に対する目的の再設定含め、運用結果に基づきPDCAを回すプロセスによって構成される。

各現場におけるこれらのガバナンスが自律分散しながらも、お互いに協調していくことが目指されている。

同サミットの運営に携わる隅屋氏がアジャイルガバナンスに興味を持ったきっかけも、デンマークにあった。

「日本の教育では、“ルールを守ること”を倫理やモラルとして意識させますが、デンマークでは“ルールをみんなでデザインする”ための教育が行われていると知って衝撃を受けました。政府がすべてのルールを決め、それを守っていればいいという時代ではなくなり、私たちに自由と責任を渡すダイナミズムが起こるでしょう。ガバナンスの構築にあたっては各企業の能動的な参加が望まれますが、価値観や考え方がぶつかるジレンマを乗り越えていくための“筋力”が必要になります。デジタル・エシックス・コンパスは、答えを差し出すものではない、筋力を鍛えてくれるツールとしても注目しています」(隅屋氏)

日本とデンマークがともに目指す第三の道

イベントの終盤では、互いの連携や次のアクションについて語り合った。まずはベイソン氏が、日本とデンマークが手を携える可能性を探る。

「日本とデンマークは多くの価値観を共有していますし、外交でも150年以上の歴史があります。また、日本の伝統工芸やグラフィックのデザインは、デンマークにも大きな影響を与えています。地球と人々にとって望ましいテクノロジーの使い方、その上で企業の成長に貢献するテクノロジーの使い方を考えていくために、我々は協働していけると思います」(ベイソン氏)

木暮祐一 氏
一般社団法人SDGsデジタル社会推進機構(ODS) 事務局長(講演当時)
名桜大学人間健康学部健康情報学科 教授
出版業界を経て、2007年に「携帯電話の遠隔医療応用に関する研究」に携わり、徳島大学大学院工学研究科を修了し、大学教員へ転身。2009年より武蔵野学院大学准教授、2013年より青森公立大学准教授などを歴任。教育分野や地域振興等におけるデジタル技術の活用・応用などに取り組んできた。地方におけるさらなるデジタル技術の社会実装を推進すべく、一般社団法人SDGsデジタル社会推進機構の発足に携わり、2021年より事務局長。2023年4月より名桜大学人間健康学部教授に就任。

ベイソン氏が日本との協働に期待するのは、倫理と利益のトレードオフを前提とするシリコンバレー型ではない、第三の道の開拓だ。この考え方には今岡氏も同調し、「技術の提案や利用では、倫理も大切にしている日本だからこそ、シリコンバレーとは違うモデルを創ることができるのではないか」と応じた。

隅屋氏は、アジャイルガバナンスを政府主導ではなくボトムアップで進めていくことの大切さを訴えた上で、日本企業の課題克服に意欲を見せる。

「ガバナンスや倫理に関する活動は、コストと捉えられがちです。そのような短期的な見方から脱却するには、ガバナンスへの投資がより良いサービスの実現や社会的価値の創出につながっていることを具体的に見せていくことが必要です。NECの今回の活動もまさにその一環だと理解していますし、今後一層、ガバナンスや倫理への取り組みが競争戦略やバリューになるという事例を共に創出していきたいですね」(隅屋氏)

最後に司会の木暮氏が「企業や研究者、自治体や地域で活動する市民が一緒に活動し、ともにルールづくりを進めることが重要である」と結んだ。

同日、NECではDDCのデジタル・エシックス・コンパス開発者による活用ワークショップが日本で初めて行われ、実際にデジタル倫理の対話を促進することでイノベーションが起きる可能性を体感できるワークになったという。NECでは、このデジタル・エシックス・コンパスを活用したワークショップを定期的に開催する予定だという。