遺伝子だけで人生は決まらない
ヒトの遺伝子を構成するDNAの中には、A・T・G・Cという4種類の文字(塩基)が約30億も並んでいます。この配列の違いが、私たちの見た目や性格、病気のなりやすさなどの特徴を作っています。
ジーンクエストでは現在、およそ70万カ所の遺伝子の個人差に関わる場所を調べ、健康リスクや体質、性格など、300を超える項目の結果をお渡ししています。たとえば太りやすさやアルコールの耐性、がんに罹患するリスクなど、多くのことが遺伝子を調べれば分かるのです。
さらに突き詰めれば、人はなぜこのような感情をもつのか、なぜこのような行動を取るのか、といったことにも遺伝子が関わっています。ストレスの感じやすさ、協調性、好奇心といった内面的な要素にも遺伝子は影響を及ぼします。
ただ、その一方で、ぜひ知っていただきたいのが、「遺伝子だけですべてが決まるわけではない」という点です。遺伝子疾患のような特別なケースは別として、頭の良さや性格の傾向、病気のリスクといった要素は、「遺伝子要因」のほか「環境要因」にも左右されるからです。
日本では、人生が遺伝子で決まるかのように考えている人が少なくありません。「親ガチャ」という言葉も最近聞かれますが、生まれた時点で人生の勝敗が決まるといった考えは、科学的にいって正しくありません。
遺伝子は、カードゲームで最初に配られる手札のようなものと考えてください。最初の手札だけで勝敗が決まらないのと同様、人生は決して遺伝子だけでは決まりません。
人は学び続けるのが自然
遺伝子はスタート地点です。遺伝子による傾向を踏まえつつ、そのうえで戦略を立て、学び続けることが大切です。
生命科学的に紐解いても、人間という存在が「後天的に学ぶ」ことを前提に成り立っていることを強く感じます。
生命は、できる限り個体の生存や繁栄に有利になるように不要なものを削ぎ落とし、最適化する方向に進化しています。そして、本当に必要な機能は、遺伝子にあらかじめ入れておいて、すぐに発現するようにしている。
ところが人間の子どもは、ほとんど何もできない状態で生まれます。そして、少しずつ、歩くなど身体の使い方を身につけたり、言葉を覚えて言語でコミュニケーションをするようになっていきます。
まして、「学ぶこと」は、生まれてから大きなエネルギーを使って、時間をかけて習得していくことになっている。そこにはきっと、何か生命的に重要な意味があるはず。つまり、何らかの合理性があると考えるのが自然です。
サルからヒトに進化するまでの過程からもわかるように、遺伝子を変えるのには相当な時間がかかります。遺伝子の変化より、環境の変化のほうがはるかに早く、そのままでは現実に起きている変化に対応できません。より早く環境変化に対応できるように、あえて遺伝情報に書かれることなく、後天的に学ぶように作られている。そんなふうに考えれば、人間が何もできない状態で生まれてくることにも合点がいきます。
そして現代は、学び続けることの意味がいっそう大きくなっている時代です。新しい知識やテクノロジーが次々と出てきているからです。
生命科学の分野では2003年に初めてヒトのゲノム解析が行われ、新たな研究が次々と発表されています。インターネットの世界でもブロックチェーンやAIなどが注目を集めています。こうした知識は、私が生まれた頃にはなかったものです。
また、環境問題や食糧問題、貧困問題などといった社会課題は山積し、その解決策を探っていかなくてはなりません。
社会問題を一つ解決しても、また新たな問題が起きます。たとえば栄養失調の問題が解決されつつある一方で、先進国を中心に10億人以上の人が肥満に悩んでいます。医療の分野でも、平均寿命が延びた一方で、介護などの問題が起きています。
このように、私たちは課題が尽きることのない世界を生きています。その課題を一つ一つ乗り越えていくのが人間です。
だからこそ、人類に残された希望は、「思考し、学習し、常に前進できること」であり、「常に改善し、新しい課題を解決し続けられること」それ自体にあるのではないでしょうか。ここからも私たちが学び続けることの大切さがわかります。
「あなたはどうしたい?」を考える
テクノロジーが発展する世界では、感受性豊かに自身の主観的な感情を捉え、建設的な問いを立て、思考して行動し続けることがより重要になります。その起点になるのが、「自分はどうしたいのか?」という主観、つまり、自身の思いです。
私自身の話をすると、今は会社経営をしていますが、もともとは医者になることが既定路線でした。私の家系には医者がとても多く、私も子どもの頃から自然と「医者か、医者以外か」という二択で将来のことを考えていました。
そんな私が医者以外の道を志すようになったのには理由があります。父が勤めていた病院を見学したとき、突然「なぜ人は病気になるのだろうか」という強烈な疑問が湧き起こったのです。
その後、私は「病気になってからではなく、病気になる前に何かできるのではないか」という思いを抱くようになり、医学ではなく生命科学の道に進みます。京都大学農学部を経て、東京大学大学院に進み、生命科学の研究者になったのです。
そして今、生命科学の分野でビジネスをするようになってから、ますます「あなたはどうしたい?」と問われるシーンが増えていると感じます。研究の世界では、過去のデータに基づき客観的に論をまとめ、主観を差し込まないことが求められます。でも、ビジネスの世界は逆で、未来に向けてどうしたいのか主観が問われます。
私が起業するとき、投資家たちからは「君のような研究者タイプの人が起業すると、巻き込まれた人が不幸になる」「君にはとうてい無理だ」というようなことを繰り返し言われました。そうした中で、私は自分自身の描く理想の姿を信じつつ、何度も葛藤し、自問自答を重ねてきました。
挑戦しては否定される。それでも私が起業に踏み切ったのは、「生命科学、とくにゲノム関連の研究成果を社会へ活かしながら研究自体も推進したい」「社会実装とサイエンスのシナジーを実現させ、どうしても社会の課題を解決したい」という強い思いがあったからです。
それは、客観的に説明できるものではなく、「私がどうしてもやりたいから」という主観でした。
人生の道筋を示す「なぜ」
「あなたはどうしたい?」と問われても、今はまだ「わからない」という人もいると思います。そのときは、「なぜ」という違和感に意識を向けましょう。私がかつて「なぜ人は病気になるのだろう」と感じ、生命科学を学び、起業したように、一つの疑問が道筋を示してくれる可能性があります。
「なぜ」という言葉から始まる疑問は、とても重要です。5W1Hのうち、WHY以外の5つが客観的な視点からの疑問であるのに対し、WHYだけは違います。自分だけに関わる、という非常に主観的なものです。
「なぜ」が自分の中で発生すると、その問いに対する思考に主観が生まれます。主観的な命題に気づくことができ、何を目指したいのか、そのために自分はどう行動すればいいかという「自分軸」が発生するのです。
たとえば、「今の日本は超高齢化社会である」という事実は主観抜きで客観的に話すことができますが、「なぜ超高齢化社会になっているのか」と感じた瞬間に、非常に主観的な考え方が生まれます。ここから、「自分は超高齢化社会で起こり得る問題を解決したい」といった考えが起きるかもしれません。
人生は遺伝子だけでなく、その後の学びによっていかようにも変わります。まずは自分の主観に素直になって理想的な未来を考える。そして、その未来につながる現在をどう生きるべきかを考えるようになれば、学ぶべきことはいくらでも出てくるはずです。
そして、学んでいることはすべて、回り回って自分の武器になる。私自身の体験から、そのことをみなさんにお伝えしたいと思います。
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