サルの脳にヒトの遺伝子を移植
生命科学はこの50年で長足の進歩を遂げた学問分野です。中でも非常に重要なトピックが、1953年にDNAが発見されたことでしょう。以降、分子レベルで生物を解明していく流れが生まれました。さらに2003年には人間のゲノムがすべて解読され、DNAを「A・T・G・C」の4文字で理解できるようになったことで、技術の進歩が加速しています。
この生命科学の知見を用いて、生命や生体を工学的に扱うのがバイオテクノロジーです。バイオテクノロジーは医療をはじめ食料問題や環境問題などに活用されており、コロナウイルスのmRNAワクチンもその一例です。
このように、生命科学の分野から大きなイノベーションが起きているわけですが、一方で議論を呼ぶテーマも出てきています。たとえば、中国のある研究チームはサルの脳に人間の遺伝子を移植し、いわゆる「遺伝子組み換えサル」を誕生させたのですが、これに対して世界から批判の声が上がりました。
この遺伝子組み換えサルを生み出した技術が、「ゲノム編集」です。ゲノム編集とは、生物の遺伝情報であるゲノムの配列を書き換えることで、生物の生命活動に影響を与える技術を意味します。
バイオテクノロジーの分野でも近年はとくにゲノム編集の研究が進んでいます。難病の治療や創薬研究、さらに畜産物の育種などへの成果が期待され、すでにマウスをはじめとする多くの生物種でゲノム編集が行われていますし、ヒトのiPS細胞にゲノム編集を行う研究も世界で日常的に行われています。
生物の髪の色や血液型、疾患リスクなどの特徴はDNAの配列により決まるので、ゲノム編集を行うことで生物の特徴を変化させることが可能です。先に挙げた遺伝子組み換えを行ったサルのケースでは、野生のサルに比べて記憶力の向上や反応の素早さが確認できたといいます。
こうした影響から近年高まっているのが、ゲノム編集に対する懸念の声です。
理論物理学者のスティーヴン・ホーキング博士は、著書の中で、ゲノム編集により身体的に改良されたスーパーヒューマンの誕生と、それによる既存の人類の絶滅可能性に警鐘を鳴らしました。また、ユヴァル・ノア・ハラリ氏も、著書『ホモ・デウス』において、遺伝子改変がなされた新しい人類が未来を支配するという話を書いています。
生命科学だけでは判断できない領域
それでは、ゲノム編集をはじめとする生命科学の進歩に対して、私たち人類はどのように向き合えばいいのでしょうか?
答えは人それぞれに異なると思います。私自身は、技術的な安全性を担保することを前提に、重篤な遺伝性疾患の治療にゲノム編集を応用してもよいという立場です。
生命科学では、このように明確に答えるのが難しい疑問に直面することがあります。私自身も、2013年にジーンクエストを起業し、インターネットで個人を対象に大規模なゲノム解析を提供する中で、さまざまな問題に直面してきました。
私が起業した当時、日本には同様のサービスはほぼ存在していませんでした。一般に遺伝子解析が知られていなかったため、私たちのもとには反対意見が多く寄せられました。
「病気の予防のため」「社会のため」との思いからサービスを立ち上げた私としては、そうした意見を意外なものとして受け止めたことを覚えています。当時、海外では遺伝子情報解析が当たり前になろうとしていたこともあり、「なぜ批判されなければいけないのか」と受け止めたのです。
ただ、批判的な意見に耳を傾けるうちに、背後に隠された人々の心情もわかってきました。まずは、ゲノム解析という未知のものに対する恐怖心です。次に、ゲノム解析で把握する分析結果に対する不安もあったと思います。
ゲノム解析により把握できる情報は多岐にわたります。アルコール体質のような比較的ライトなものもあれば、難病が見つかる可能性もゼロではありません。早めに疾患リスクを把握できてよかったという人もいれば、知りたくなかったという人もいるでしょう。
こうした命に関わる問題には、一律の答えを出すことができません。ゲノム解析を行うべきか、そうではないのか、といった問いに対して、生命科学の知識だけで答えるのは不可能です。
多様性ある議論から、システム全体を見る
答えを出すのが難しい問いがあるとして、ここで思考停止に陥っていたら進歩はありません。前に進むためには、私たちは現時点における最適な解を考える必要があります。そこでポイントになるのが、“多様性”というキーワードです。
最先端の生命科学研究の世界では、必ず倫理審査委員会が設けられます。この委員会には、さまざまな領域の専門家が加わるのが一般的です。ジーンクエストも倫理審査委員会を作っており、科学者だけでなく、医学や薬学、生物学。さらには法律、心理学、サイエンスコミュニケーションなどの分野のメンバーを揃えています。
このように多様なメンバーで議論を行うと、科学者だけで行う議論とは異なる視点を得ることができます。その結果、倫理面から逸脱する行為を防ぐとともに、過度な恐怖心から歩みを止めることも避けられます。
急速に加速しているものは目を引きやすく、ゲノム編集や再生医療は何かと取りざたされます。インターネットの分野ではディープラーニングをはじめとするAI技術も同様です。こうした最先端技術は、積極派と消極派に意見が二分されがちです。
しかし、テクノロジーの新規性だけに着目して「進めるべき」「止めるべき」という極論で決めつけるのも、ある種の思考停止だと私は考えます。
ゲノム編集にせよ、AIにせよ、私たちはテクノロジーを良い方向にも悪い方向にも使うことができます。だから、テクノロジーだけに注目するのではなく、そのテクノロジーを使って私たちの世界はどうあるべきか、全体像で考える。つまり「システム全体」を見る視点で考えるほうが、よほど建設的ではないでしょうか。
リベラルアーツと生命科学の接点
多様性のあるメンバーによる議論が大切という話をしましたが、科学者の多くは個人的にも視点の多様性を身につけようとしています。
たとえば世界の科学者の多くが大切にしているのが、宗教や哲学などのリベラルアーツです。科学は何かを成し遂げるための手段ですから、進歩にまかせていると何でもできてしまいます。いい方向にも、悪い方向にも持っていくことができる。そこで、より正しい判断を行ううえで、リベラルアーツが研究者を支えているのです。
私自身も、東洋思想研究家である田口佳史先生から直接教えをいただいています。西洋思想がどちらかといえば人間中心の世界観で、人間とその他の生物を分けて考えるのに対し、東洋思想はあらゆる生命を同等に扱います。このような視点が、生命科学の立ち位置を考えるうえで気づきを与えてくれます。また、リベラルアーツに関する本を読むことも多く、哲学者と科学者の対談などはとくに好んで読んでいます。
意外に思われるかもしれませんが、仏教の教えは生命科学を考えるときの一つの拠り所になっています。たとえば、仏教では生老病死を「4つの苦」として人生で避けられないこととして捉えているのですが、これらはまさに生命科学が扱っているものです。
4つの苦に照らして考えると、以前は、「どうすれば死なないのか」「どうすれば病気にならないのか」ということが生命科学の大きなテーマでした。今は、「どうやって生きるのか」「どのようにして老いていくのか」という迷いを抱える人が増えています。このような洞察を、私は仏教の教えから得ることができたのです。
科学とリベラルアーツは一見相反するもののように思えて、決してそうではありません。リベラルアーツを学ぶことで、より深く科学を理解できるという側面が確実に存在するのです。
「リベラルアーツプログラム for Business」のご案内
現代の教養を学ぶ!
KDDIは、イーオンと共同し、社会人向けオンライン映像学習プログラム「リベラルアーツプログラム for Business」を提供します。
アート思考・哲学・社会・科学といったリベラルアーツに必要不可欠な領域のフロントランナーが開設する動画講義が見放題!
プレジデント社・NHKエンタープライズが企画・制作した、他では見られない高品質な映像がここに!