正しいことをしているはずなのに評価されない。ビジネスマンなら誰しも一度はこうした思いを抱いたことがあるはずだ。独立研究者の山口周さんは「人間がもつ不合理さ」を理解することの重要性と、リベラルアーツを学ぶことの大切さを訴える──。

正論は受け入れられない

自動車業界は今、世界的なEVシフトへの圧力により勢力図が塗り替わろうとしています。ここで感じるのが、欧州のリーダーたちの“したたかさ”です。

これまで幾度となく国家間の争いに直面してきた欧州では、リーダーが身につけるべき帝王学としてリベラルアーツが学ばれてきました。そして、18世紀から19世紀にかけては、オックスフォードとケンブリッジでリベラルアーツを学んだエリートが内政と外交を担うようになりました。

内政と外交の特徴は、複雑性が高く、論理思考だけでは正しい判断ができない点にあります。しかも、一つの判断ミスが国家の存亡に関わる非常に難しい状況に常に晒されます。そんな中、国民の生命を預かり重大な意思決定をするリーダーたちが拠り所にしてきたのが、リベラルアーツなのです。

現代に目を移せば、ビジネス環境はますます複雑になってきています。私はその視点から、ビジネスリーダーたちは再びリベラルアーツに目を向けるべき時機が来ていると強く感じています。

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逆に、リーダーがリベラルアーツを軽視し、論理思考だけで戦おうとすれば、これからは生き延びることが困難な状況に陥るでしょう。そのことは、昨今の自動車業界に起きていることからも読み取れます。

2021年9月、トヨタ自動車の豊田章男社長が、欧州の政策に合わせて電気自動車(EV)化に傾きつつある日本の現状に対し、「私たちの敵は炭素であり、内燃機関(エンジン)ではない」と発言しました。

この発言は、日本はEVに必要な電力が火力発電に大きく依存していることや、EV化による日本の自動車産業の雇用悪化などの影響を踏まえての発言と考えられます。

たしかに、豊田社長の発言は理屈としては通っています。日本でEV化を進めたからといって、それだけで環境問題が解決するわけではなく、「日本の実情に合わせるべき」という主張も理解できます。

しかし、豊田社長が述べた“正論”は、日本の人々からもあまり共感を得られていないように感じます。切実な声は、世界的なEV化の圧力にかき消されてしまった、といえるでしょう。

合理性を信じすぎると裏切られます。「理屈はこうだから、こうすべき」というアプローチだと、思うような成果をあげられないのです。

インテリジェンスの歴史から学ぶ

正論が通用しないのは、人間がそもそも不合理なものだからです。不合理な人間にはたらきかけ、考え方を変えさせるには、単に理屈を述べるだけでは不可能です。

人間は「正しさ」よりも「共感」を大切にする生き物です。そのことを海外のエリートは認識し、理屈ではなく、感情に訴えることで人々を動かそうとします。

海外の政治家やビジネスマンと比べて強く感じるのが、日本人のナイーブさです。「正しいことを言えば認めてくれる」という思い込みがあり、国家間の厳しい競争に勝てずにいます。もちろん、「正しさ」は大切なことですが、正しいことを実行するにはパワーが必要です。自分を有利な立場に持っていく狡猾さや、最後まで押し切る胆力がなければ、現状を変えることはできません。

そうした事実は、歴史からも学ぶことができます。人を動かすという点でいえば、ヨーロッパのインテリジェンス(諜報ちょうほう活動)の歴史に多くの示唆があります。

諜報活動は、主に国家の安全保障のために行われます。そして、その活動は情報を集める「諜報」と、得た情報を活用する「工作」に分けられます。諜報活動というと情報収集のイメージが湧くかもしれませんが、実は工作こそが肝なのです。

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諜報活動をうまく活用すると、武力を使わずに他国と対峙たいじすることができます。たとえば15世紀から16世紀にかけて、強大な軍事力を有していたスペインに対し、イギリスは諜報活動で対抗しました。スペインの財政破綻の噂を流したり、海賊と裏で手を組んだりして、スペインの弱体化を図ったのです。

今自動車産業で起きていることも、見方を変えれば国同士の争いです。欧州は「環境を守るにはEV化しかない」という意識を一般に根付かせ、強烈なEV化の圧力を生み出しました。その結果、押された日本の自動車産業は、欧州が敷いたレールの上で戦うことを余儀なくされています。

劣勢にある今、インテリジェンスの歴史に、“したたかな”欧米に対抗するためのヒントがあるという視点は、必ずや日本にとって有益なものとなるはずです。

中国のしたたかさを支える知恵

歴史や文学などのリベラルアーツを学ぶと、「人間とは不合理なもの」ということを理解できます。私たちの仕事や生活で起きる問題の大半は人間が絡んでいるわけですから、リベラルアーツの学びは仕事にも当然役立ちます。

そのことを、海外のエリートは理解しています。たとえばイギリスのオックスフォード大学やケンブリッジ大学は伝統的にリベラルアーツを教え、国家運営を担うリーダーやグローバルカンパニーの社長などを数多く輩出してきました。

同じように、中国においても、リベラルアーツはリーダーが持つべき素養として考えられています。その証として、中国の官僚登用試験である科挙かきょでは「四書五経」の知識が問われました。儒教の教えを通じて、社会道徳や人のあるべき姿について徹底的に学んだ人だけが、官僚になることができたのです。

そして、実際に官僚として人民の統治を行うようになると、彼らは「韓非子」の教えを生かします。中国戦国時代の思想家である韓非子は、性悪説に基づく信賞必罰や富国強兵など、いわば王様のための心得を説いた人物です。

実は韓非子の思想は、西洋のマキャベリズムに通じるところがあります。どんな冷酷な手段や非道徳的な行為であれ、結果として国家の利益を強化するのであれば許されると捉えるのです。

世界最古の筆記試験による官僚登用制度といわれる科挙の伝統を引き継ぐ現代中国の官僚たちも、儒教と韓非子という、相反する思想を身につけています。

こうした思想的レンジの広さが、中国のリーダーの強さを裏付けているといえます。

中国共産党は、中国版Twitterといわれる「微博(ウェイボー)」から人々の意見を吸い上げるとともに、貧富格差の解消やエコロジー、協調などを訴え、中国の人々の共感を得ようとしています。これは、儒教による理想主義的な統治のあり方といえます。

その一方で、汚職官僚の徹底した取り締まりや軍備拡張など、韓非子の法家思想を感じさせる統治も行われています。つまり、中国のリーダーは人間の不合理さを念頭に置きながら、状況に応じて「天使」と「悪魔」の両面を使い分けているといえるのです。

天使の側面しかないリーダーは、悪魔的な要素をも兼ね備えたリーダーに必ず負けます。リベラルアーツから幅広い知識を身につけ、人との対峙の仕方から、世の中の動かし方まで、天使と悪魔との2つの顔を巧みに操るリーダーが勝つのです。

リーダーが学ぶべきはリベラルアーツ

再びビジネスの話に戻しましょう。仕事に役立つリベラルアーツの最大の学びは、「人や組織は非常に不条理だ」ということを知ることができる点です。

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時々、組織の中でも、論理思考を学んで頭がすごくいいのになぜか活躍できない人がいます。正論を述べるけれど活躍できず、キャリアが行き詰まってしまう……。こうした事態が起きるのは、そもそも人間が全然ロジカルではないからです。

合理性に欠けた人たちが集まって組織は成り立っています。合理的でない人間が運営する以上、経営は論理思考だけでうまくいくはずがないのです。

そこで、リベラルアーツの学びから、人間の不条理さに思いを馳せられるようになると、より効果的な経営ができるようになります。

ところで、私がリベラルアーツの重要性について話をすると、「ビジネスの世界で圧倒的に存在感を示しているのはアメリカであり、アメリカでは実学が重視されている」といった反論をされることがあります。

しかし、これは浅はかな見方だといえます。アメリカの大学ランキング1位であるハーバード大学には一つの学部しかなく、その学部は「Faculty of Arts and Sciences」。すなわち、リベラルアーツを学ぶ学部なのです。

リベラルアーツを学ぶことで、「人間は不合理なものである」という前提に立ちつつ、その不合理にパターンがあることが分かってきます。そして、「理屈でいえば組織はこう動くはずなのに、なぜか動かない」といった状況に直面したとき、人間の不合理性のパターンを知っているかどうかは判断や結果に大きな違いを生みます。

「いま、何が起きているのか?」「これから、何が起きるのか?」という答えにくい問いに対して、リーダーは高い確度の答えを得る必要があります。その拠り所となるものこそ、人類の知恵を結集したリベラルアーツなのです。

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