学校や書籍から学んだ知識はもちろん、かつてはビジネスの現場で機能した「経験」「論理」「ケーススタディ」という3つのツールさえ、その有効性を大きく低下させている。独立研究者の山口周さんは、その原因に「ゲームのやり方」が変わった事実を挙げ、これからは模倣型では難しく、ゼロから答えを作り出せる人材だけが生き残ると指摘する──。
写真撮影=永井浩
「奴隷的思考」で戦うことはできない、「自由人の思考」が必要だと語る、独立研究者の山口周さん

ゲームのやり方が変わった

大きな意思決定をするとき、多くの人が拠り所にするものが3つあります。まずは「①自分の経験」、次に「②論理思考」、そして最後に「③ケーススタディ(過去の事例)」です。

今、これら3つの有効性がどんどん落ちています。そんな時代にあって、いったい何が私たちの思考の立脚点になるのか。それは、哲学や歴史などの“リベラルアーツ”にほかなりません。

リベラルアーツは、もともと古代ギリシャや古代ローマ帝国において帝王学として発展してきました。「リベラルアーツ:自由の技術」と直訳できるように、自由人として身につけるべき知識がリベラルアーツには詰まっています。

リベラルアーツの有効性を理解するには、まず、自分の経験、論理思考、ケーススタディという3つの方法が無力化しつつある理由に目を向ける必要があります。

一言でいうならば、それは「ビジネスにおける“ゲームのやり方”が大きく変わった」からです。たとえばカメラ業界では、世界最大のメーカーであったコダックがデジタル化の波に乗れず、事業規模は大きく縮小しました。「フィルムをたくさん売れば勝てる」というルールが変わり、市場そのものが消失してしまった結果です。

このような変化の時代には、現状を冷静に分析する視点と既存のルールにとらわれない自由な思考が求められます。

かつて、リベラルアーツを学ぶ「自由人」と対比されたのは「奴隷」でした。そして、ルールが固定化されていた20世紀ならば「奴隷的な思考」でも戦うことが可能でした。ところが、現在はそうではありません。

ルールが一定でない時代に生きる私たちは、もはや自分の経験に頼ることはできません。「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」というのはビスマルクの言葉ですが、個人の経験という主観に歪められた思考からは、正しい答えを導き出すことはできないのです。

それでは、客観的な事実に基づく「論理思考」はどうでしょう。こちらも、かつてほど役には立ちません。論理思考の有効性をまったく否定するわけではありませんが、複雑さを増す現代においては無力となる場面が増えています。

たとえば、大量のデータから最適解を導き出そうとする「ビッグデータ」のアプローチは論理思考の最たるものですが、データのノイズなどの問題から、期待されていたほどの結果を出すことができていません。

論理思考の決定的弱点

論理思考の決定的な弱点は、物事を比較するときに“モノサシ”を必要とする点です。そのモノサシが有効であればいいのですが、ビジネスにおいてはそのモノサシ自体があっという間に陳腐化してしまうことが少なくありません。

たとえば日本が抱える問題の一つは、すでに陳腐化してしまった「機能性」にいまだにこだわっていることにあります。

20世紀の産業は、「機能性に比例して値段が高くなる」という特徴がありました。そのため日本の各メーカーは、機能を高めることをもっとも重視しました。

しかし21世紀の今、世の中を見てみるとどうでしょうか。市場でいちばん安く売られているものが、非常に高機能な製品であるケースも少なくありません。機能こそ高価格商品に決して劣らないのに、なぜか安売りされている。そんな商品が数多く存在します。

その実例として、日本の携帯電話市場が挙げられます。それまで日本のメーカーが高機能を競っていたところに、2007年にアップルのiPhoneが登場。数年でライバルを駆逐し、マーケットのほぼ半分を奪いました。

※写真はイメージです

ここで、「日本の携帯電話はiPhoneに機能で負けた」「もっと機能を高めればiPhoneに勝てる」と考えるのは、誤りです。むしろ、機能以外の“何か”が、iPhoneが勝利した理由だと考えるべきでしょう。

かつてスティーブ・ジョブズは、アップルのことを「リベラルアーツとテクノロジーの交差点にある会社」と表現していました。ここから分かるように、アップルは日本企業とは別のモノサシを当て、その結果としてマーケットを席巻したのです。

機能性という従来のモノサシが効かない今、新たなモノサシが必要です。これは論理思考で導き出せるものではありません。「何が価値を生むのか」という、まさに哲学などのリベラルアーツが扱ってきた根源的な問いに向き合うのと同じアプローチが必要になっています。

グーグルはなぜ軍事ビジネスから手を引いたのか

論理思考と同じく、「ケーススタディ」もかつてほど有効ではなくなりました。

昔から、ビジネススクールでは「ケーススタディ」として多くの事例から経験則を導き出そうとしてきました。たとえばハーバード・ビジネス・スクールでは2年間に500から600くらいのケーススタディを行っています。

ケーススタディは、ルールが固定化された世界であれば役に立ちます。しかし前述のとおり、ビジネスというゲームのルールが根本から変化しており、ケーススタディの限界が明らかになってきています。

そのことを強く感じさせられたのが、2018年に米グーグルが米国国防総省の事業への協力を打ち切ったというニュースでした。

それまでグーグルは国防総省とともに、ドローンによる偵察能力の向上を目的とした機械学習のアルゴリズム開発などを行っていました。端的に言えば、ドローンに人工知能を搭載し、戦闘に使えるようにする計画です。

この件について、社内外から批判もあり、グーグルはプロジェクトから手を引くという決断をしました。

もし、グーグルの経営陣が過去のケーススタディありきで考えていたら、彼らの判断は違ったものになっていたかもしれません。アメリカの防衛産業は巨大です。利益獲得のために契約を続けるという判断もあり得たと思います。

しかし、今起きている現実を踏まえてグーグルは決断を下しました。

戦場において人を殺傷する可能性がある以上、いかに大きな利益を創出する可能性のあるビジネスであっても受け入れない、というきわめてリベラルな尺度から判断をしたのです。

とりわけ未知のテクノロジーについては、法律や制度などの社会ルールの整備が追いつかず、人類にとって取り返しのつかないことが起きる可能性があります。そのようなとき、過去のケーススタディを拠り所にしていては、誤った判断につながりかねません。

未知のテクノロジーが社会の中で本格的に実装されたとき、いったい何が起こるのか、果たして倫理的に許容されるのか──広いパースペクティブな視点が強く求められる局面で拠り所となるのは、やはりリベラルアーツです。

商品の焼却処分で“炎上”した高級ブランドの失敗

グーグルの事例とともに象徴的なのが、ある高級アパレルブランドのケースです。

2018年に、この高級ブランドが42億円相当の売れ残りの服飾商品を焼却処分したことが広く報道される事件がありました。事実関係が明らかになるや、たちまち世界的に大きな批判と不買運動が巻き起こり、ブランド価値が大きく毀損きそんする事態に陥りました。

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それまで、値崩れを防ぐために在庫を世に出さないのは高級ブランドのセオリーでした。もしもアウトレットショップなどで安売りされ、経済的に豊かでない人がその商品を手にするようになれば、高級ブランドとしてのイメージが損なわれる、だから焼却処分をする、それがほんの少し前までの“常識”でした。

ところが、貧困や環境問題への対応が、利益の追求以上に重要な企業経営上の課題として受け止められるように社会が変化しました。とりわけラグジュアリーブランドを好むような富裕層の間では、社会問題に敏感な人が少なくありません。そうしたトレンドの変化をしっかり認識できていれば、この高級ブランドは大きな危機に陥ることを防げたはずです。

私は、ケーススタディに価値がないと言いたいわけではありません。そのケースを深く読み取り、洞察を得ることは今でも大切です。ただ、ケースの表面的なことだけを見て、従来の答えをなぞるだけでは、今後は誤った意思決定をしてしまいかねないと言いたいのです。

日本の近代化と高度経済成長は「キャッチアップの時代」の賜物

日本は、1950年代から1980年代にかけて高度な経済成長を遂げました。これは、経験や論理、ケーススタディがきちんと効果を発揮した時代の話です。

日本企業が大きく成長した時代と今を比べて明らかなのは、「キャッチアップの時代」が終わったということです。

歴史を遡ると、日本は江戸時代になかば強制的に開国させられ、ヨーロッパの植民地になる危機に直面しました。当時の日本は、欧米列強の帝国主義的な植民地拡大の圧力に対処しながら、ヨーロッパが500年をかけて行った近代化を10年から50年ほどの短期間で成し遂げなくてはならない状況に陥ったのです。

日本は、主にヨーロッパから科学技術や法律、議会制度、軍備といったさまざまな方法を取り入れました。福澤諭吉のように西洋の思考様式を取り入れる日本人も増え、まるでパソコンに新しいOSをインストールするかのように、急速に近代化を遂げたわけです。

その結果として日本は一気に文明国の仲間入りをしました。

二度の世界大戦を経て、太平洋戦争の敗戦後も、日本は再び海外に追いつこうと奮闘し、そのピークである1989年には世界の時価総額ランキングの上位を日本企業が占めるまでに至りました。いわゆる「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代です。

1980年代後半に日本は、文明化の完成を迎えました。福澤諭吉が言った「脱亜入欧」が究極的に完成したといえます。アジアで最も資本主義が発達し、経済、科学技術においても欧米に引けを取らない国家が出来上がったのです。

「模倣」からの脱却ができない日本の現状

ところが、ここから日本は一気に苦しい状態に置かれました。およそ30年をかけて坂道を駆け上がった後、経済の停滞から「失われた30年」といわれるほどの状況になっています。

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私の考えでは、日本経済が立ち行かなくなった理由の一つは、日本が模倣すべき対象がなくなってしまったことにあります。トヨタ自動車がGMやダイムラー・ベンツを、コマツがキャタピラーを追いかけたように、かつて日本の多くの産業に将来目指すべきモデル企業がありました。それらに追いついた瞬間、次に進むべき道を見失ってしまったのです。

さらに広く歴史を俯瞰ふかんすると、遣隋使や遣唐使の時代の日本は、律令制度や都市計画を中国から輸入し、都市国家を形成しました。そして、中国から輸入した漢字を別名「真名」と呼び、日本人が生み出したひらがな・かたかなを「仮名」と呼んでいたことから、中国をお手本としてきた歴史があります。

こうした歴史を、政治学者の丸山眞男は著書で「日本人は常にキョロキョロしてきた」と指摘していますが、日本人は常に「良いものは外にある」として、歴史上、これを真似ることをずっと続けてきたわけです。

しかし、世の中の不確実性が高まり、一律の模範解答が存在しない現代においては、自ら考え、自ら答えを見つけ出することが求められます。淘汰とうたの歴史に耐えてきたリベラルアーツを学び、知的な足腰を鍛える。そして確かな立脚点から考え、よりよい未来を作り上げていかなくてはなりません。

現在はそういう時代になった、という意識の転換が必要なのです。

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