欧米と比較して低水準にあるとされる日本の開業率。米シリコンバレーに代表される「起業家のエコシステム」形成に向けて、創業や成長を支援する仕組みが徐々に整えられつつある。とはいえ不安が先行し、日本人の起業に対する心理的ハードルはいまだ高いのが現状だ。事業が行き詰まった経験を持つ人なら、自身を奮い立たせるのはなおさら難しい。そこで東京都の事業として2020年にスタートしたのが「東京都リスタート・アントレプレナー支援事業(TOKYO Re:STARTER)」。対象は、起業において困難に直面したことがあり、再び一歩踏み出したいという意欲に燃える起業家だ。

起業家たちがひるむことなく「挑戦」できる土壌を

新たなビジネスを生み出し、次の時代をつくるけん引役として期待される起業家たち。中には過去のつまずきを糧として、大きなチャンスをつかんだ者も少なくない。「TOKYO Re:STARTER」プロジェクトは、再起を図る起業家「リスタート・アントレプレナー(R・E)」がプログラムへの参加を通じて成長する姿を発信し、多くの人が失敗を恐れずに起業に挑戦する機運を高めることを目的とする。自身が立ち上げた事業が倒産・廃業したことがある、現在事業が行き詰まっている、こうした経験を持つことが参加要件の一つに設定されている。

プログラムは、2020年7月から8月にかけての「R・E交流プラットフォーム」と、同年9月から2021年3月にかけての「R・Eアクセラレーションプログラム」で構成。まず前者のプラットフォーム期間では、自身の不本意な事業の結果と客観的に向き合い、再出発するためのマインドセットを養う。第一線で活躍する起業家をゲストに迎え、かつて経験した事業のクローズといった危機的状況などをテーマにした講演会(全4回)、参加者同士の座談会(全4回)を実施。次のステップである「R・Eアクセラレーションプログラム」では、これまでの経験談、これからの事業にかける熱意や前向きな姿勢、再スタートに向けた準備の状況、成長性などを「失敗談ダービー(審査会)」でプレゼンした参加者のうち、審査員らによって選抜された「20者」が受講した。

受講生が目指す事業の実現に向けて、定期的なメンタリングを軸にしたプログラムを実施。コロナ禍の状況下、オフライン、オンラインを組み合わせて行われた。

R・Eアクセラレーションプログラムでは、起業家、投資家、また弁護士や公認会計士、研究者ら幅広い分野の専門家をメンターとして招へい。ミッション、ビジネスモデル、事業計画の策定に挑んだ。受講生は定期的にミーティングを行い、進捗状況を発表。メンターのフィードバックを踏まえて課題を明確化し、その解決策を探り続けた。また、プログラムで獲得した学びや悩みを参加者間で共有することで成長のスピードを加速させる「学び共有会」のほか、ベンチャーキャピタルや事業会社などに事業計画をダイレクトに伝えることができる「ピッチ会」など、マッチングの機会が設けられたのも特徴だ。

今の自分でも社会と関われる。そんな喜びがあった

では、受講生たちは「TOKYO Re:STARTER」プロジェクトで何を吸収し、どう変わり、どのような起業家としての未来図を描いたのか。2021年3月12日、プログラムの集大成として「成果報告会」をオンライン開催。各自が練り上げたプランを披露した。

「仲間への遠慮もあって、お金の管理を徹底できなかったことがつまずきの要因。悔しかったですし、これからどうなるのかと不安に押しつぶされそうでした」と語るのは、受講生の遠藤隆宏さん。ログハウスメーカーのパートナー企業の一社を率いて、担当地域のマーケティングから施工までを展開。他エリアのフランチャイジーに対するM&Aなどで事業拡大を進めていた矢先、自身の知らないところで、実は資金が底を突きかけていたことを知った。「ええかっこしいだったと思います。自分はビジネスの本質を理解しているという気になっていた」

遠藤隆宏さん

「その感覚は私にもあった」と、同じく受講生の西澤佳男さんはうなずく。「自分が作り上げた理想像から抜け出せなくなる。私の場合、東京で活躍中の経営者が地方の企業を事業承継、新たな風を吹き込む──。そんなイメージでした」。ウェブマーケティング、営業支援などを得意とする西澤さんは異業種の建設業に参入。事業承継の注目ケースとしてメディアにも取り上げられ、一時は結果も出した。「でも、やはり建設業界では素人。原価管理が甘く外注コストがかさみ、廃業に追い込まれました。お客様、取引先、従業員に申し訳ないという気持ちがなくなることはありません」

このようなタイミングで見つけた『「TOKYO Re:STARTER」募集』の情報。遠藤さんは「正直に言うと、当初は斜めに見ていたのも事実です。失敗から立ち直ったというエピソードはテレビや雑誌でよく見かけますが、それは有名な方に限ってのことだと思っていましたから」と打ち明け、西澤さんは「東京都の事業であることに驚きました。どう動いたらいいのか分からない今の自分でも、社会と関われる場所があるのだなという喜びがありました」と話す。

この経験が誰かの役に立ち、伝播してほしい

さまざまな感情が絡み合っていた受講生たちの思考は、プログラムが進行するにつれて解きほぐされることになる。

「メンターとの会話を重ねると、だんだん自分自身のことが整理されていくんです。例えば、私が得意げに格好良いことを語っても、まずは、メンターはそれを受け入れてくれる。一方で心の中には、格好悪いことをやっているなと見透かしている自分もいる。この現実を直視して、逃げずに向き合うきっかけをもらうことができたのが大きかったと思います。自分にうそをつかずに仕事をするとはどういうことなのか。私なりの解釈が確立されて以降は、物事の本質にたどり着くスピードが早まった気がします」(遠藤さん)

「喪失感に襲われた後、心身のバランスを整えて次に進むためには、自分と向き合う時間が必要です。ただ、自分だけで区切りをつけるのは簡単ではないでしょう。TOKYO Re:STARTERの仕組みでは、提示された課題に対して、いつまでに何をすべきかが決まっています。一定のリズムで考えをまとめ、メンタリングでより発展させるためのヒントを得る。いい循環を感じました。また、メンターは私たちを特別視することはなく、必要以上に近づきすぎることもありません。適切な距離感でのアドバイスが、私としては心地良かったですね」(西澤さん)

西澤佳男さん

自己を掘り下げるだけではない。「成果報告会」をはじめ、受講生が互いに刺激を与え、学び合うことがさらなる成長を促す。受講生間で生まれたネットワークを活用して、事業分野を問わず意見を交換したり、協業を相談したりするなど、多くのコラボレーションが生まれた。

今後、遠藤さんはログハウス関連の事業を再び本格化させていく計画。ゆくゆくはグローバルな事業に育てるつもりだ。西澤さんは自身の2度の廃業経験やTOKYO Re:STARTERの成果を新事業「廃業プラットフォーム事業」として昇華。2021年2月に「株式会社リスタートスタイル」を設立し、「リスタート産業」の市場創出を狙う。

あらためて、遠藤さんは現在の気持ちをこう表現する。「勝手な思い込みに縛られていましたが、プログラムの受講をきっかけに、もっと自由にしていいんだということに気づかされました。見て見ぬふりをせず、摩擦を恐れず、正直に仕事をしたいですね。TOKYO Re:STARTERがなければ、きっと今も納得することなく、立ち止まったままでしょう。そして、私の経験がいつか誰かの役に立ち、それが伝播することで世の中にいい影響が及ぶかもしれない。そんな考えも芽生えました」

西澤さんは、「何度でも再チャレンジが可能」であることを確信している。「私が新たな事業で支援している方は、63歳で起業して20期目を迎えました。そして83歳の今、新事業への再チャレンジを予定しています。挑戦に年齢は関係なく、回数に制限があるわけでもありません。私も、これからいろんなことができると想像して、ワクワクしています」

(2020年度の本事業は株式会社ボーンレックスが東京都より受託し運営)