「いっそ、もっと、輝こう。」──。三井住友VISAプラチナカードは、現状に満足することなく一歩踏み出す人たちを応援している。今回登場する清宮克幸と渡辺康幸の2人は、早稲田大学の先輩と後輩の間柄。それぞれラグビーと駅伝において、低迷する早大の名門チームを復活させた。現在も監督という立場で、新たな目標へ挑み続けている両氏が“輝き続けるために必要なこと”を語り合った。
【清宮】いよいよ「箱根駅伝」が間近だけど、今年の早稲田はどうなの?
【渡辺】実はこの1年、選手たちには、あえて「君たちはまだ弱い」と言い続け、練習法も変えました。意識改革です。いい伝統は守り、変えるところは変える。そんな姿勢で臨んでいます。
【清宮】変革には抵抗も付き物だけど、選手たちから反発はなかった?
【渡辺】そうした反骨心はむしろ歓迎です。それをレースに向かっていく気持ちに変えていくことを意識しました。
──いま「伝統」という言葉が出ましたが、お2人は監督として早稲田の名門チームを十数年ぶりに優勝させた実績があります。“復活”へ向け、ご自身を奮い立たせたものは何でしょう?
【清宮】一つには母校で優勝した者の「責任」です。私がラクビー部に在籍していたときは社会人を倒して日本一にもなった。しかしその後、早稲田は大学選手権での優勝からも遠ざかっていた。「早稲田にきてよかった、最高だった」。自分が学生時代に味わった思いを、なんとか後輩にも感じさせたい。それが大きな原動力でしたね。
【渡辺】私は清宮さんと違い、指導者になるまでに葛藤がありました。度重なるケガのため、長距離ランナーのピークともいえる29歳で現役引退。特段の仕事もなく、後輩選手の面倒を見るだけ。それまでは温室育ち。厳しい現実を直視するまで、時間がかかりました。その後1年間のコーチ経験を経て、31歳で駅伝監督に。当時の早稲田の駅伝チームはどん底の状態。監督就任後も3年間は低迷が続きました。そこで自分を支えたのが、持ち前の反骨精神です。「渡辺じゃダメだ」という声を聞くほどに「絶対やってやる」という気持ちは強まりました。一方、清宮さんは監督就任1年目から関東大学対抗戦で優勝でしたよね。
【清宮】もともと選手たちに「勝ちたい」というエネルギーは溢れていた。ただ方策を知らなかっただけ。だから私がやったのは、勝つための具体的な戦術の導入です。他校がやっていない独自の戦法や練習方法は、自信につながる。また勝つことで、その独自性が強みになっていったんだと思います。
【渡辺】駅伝チームが箱根駅伝で往路優勝したのは、監督就任4年目。念願の総合優勝は7年目です。その間、大切にしてきたのが、目標の細分化。目標はクリアしてこそ意味がある。3カ月ごとにターゲットを定め徹底しました。