「ブラックPTA」の落とし穴
ただ、まさに、ここに落とし穴があるのではないか。
もちろん、こうした知見は重要だが、現場では別の力学が働く。それは、先に述べた「日本PTA全国協議会」の元参与のように私腹を肥やそうとする(邪な)動機よりも、「子どものため」といった(純粋な)理由のほうが、参加者の大部分を占めているからである。
仮に、無理やり役員にさせられたとしても、いや、そうさせられた人のほうが、自分の貴重な時間と労力を費やしてPTA活動に従事する以上、「子どものため」との「正論」でみずからを納得させようとするのではないか。
こうして見ると、PTAをめぐる問題は、制度不備や不祥事というよりも、参加者の動機と無関心の構造に根差していることがわかる。ここに「ブラックPTA」なる呼び方の難しさがある。
「子どものため」には敵わない
木村氏をはじめとする有識者は、理論武装においてはすばらしい。何も知らないまま、義務だと勘違いしてこき使われる保護者を、その苦役から解放してくれる。何となく抱いていた違和感を言葉にして、しかも、憲法や法律の後ろ盾によって立ち向かう勇気も与えてくれる。それは「正論」としか言いようがない。
かたや、「子どものため」は、どうか。子どもを持つ保護者、さらには、学校の教職員にとって、これだけ強いスローガンはない。子どもが健やかに育つためなら何でもする、とまではいかなくても、教育に携わる以上、「子どもファースト」は否定できない。肯定するしかない。これもまた「正論」にほかならない。
これまでのPTAは惰性や慣習に甘えて、任意加入の原則を説明せず、あたかも加入が義務であるかのように装ってきた部分があった。とはいえ、こうした「正論」と「正論」のぶつかり合いにおいては、「子どものため」には敵わない。
もはや「ボランティア」と呼ぶ自発性もなければ、逆に「ブラック」と名指すほどの強制性も見えなくなる。「子どものため」なら仕方がない。そんな諦めとともに、自分たちを奮い立たせようとする空元気がないまぜになった妙なグルーヴが形づくられるのである。

