5つのビジョンに込めた「社会全体で共有したい理念」
【山口】「はじめの100か月の育ちビジョン」は、お母さんの妊娠からお子さんの小学校1年生までをおよそ100か月として、その時期の育ちの重要性を訴える施策ですね。私が最初に共感したのが、出産からではなく妊娠期間を含めてこどもの「育ち」を捉えていることです。実は経済学の研究でも、こどもがお母さんのお腹の中にいるときから十分なサポートを提供することで、生まれてくるこどもの人生がより良いものになることがわかっています。
こども家庭庁
成育局 成育基盤企画課長
【横田】この「はじめの100か月の育ちビジョン」は、まさに妊娠期から始まる「はじめの100か月」がこどもの生涯にわたるウェルビーイングの基盤となることから、社会全体の全ての人と共有したい理念をわかりやすくまとめたものなんです。
これまで保育所・認定こども園・幼稚園、子育てひろばなどの現場で、保育者や保護者等の皆さんが大切にしてきた基本的な考え方などを改めてわかりやすく言語化し、日頃こどもとの関わりが少ない人も含め、全ての人と共有できるようにしています。
【山口】具体的には、5つのビジョンが示されていますが、それぞれのビジョンについて、簡単に説明していただけませんか。
【横田】まず、ビジョン01「こどもの権利と尊厳を守る」では、全てのこどもは生まれながら権利を有しており、こども一人ひとりの思いや願いを大切にしなくてはいけないという基本的な理念を示しています。また、ビジョン02「「安心と挑戦の循環」を通してこどものウェルビーイングを高める」では、乳幼児期には保護者等とのアタッチメント(愛着)の形成と豊かな遊び・体験がとても重要であること、ビジョン03「「こどもの誕生前」から切れ目なく育ちを支える」では、こどもの誕生前後、就園、小学校就学など、こどもの成長の節目が育ちを支える支援等の切れ目とならないようにする必要があることを示しています。
さらに、ビジョン04「保護者・養育者のウェルビーイングと成長の支援・応援をする」では、こどもに最も近い存在である保護者・養育者が「こどもと共に育っていく」ことができるようきめ細かな支援が大切になっていることや、ビジョン05「こどもの育ちを支える環境や社会の厚みを増す」では、こどもの育ちには、保護者や保育所等の先生だけではなく、地域や職場など全ての人が直接的・間接的にこどもの育ちに影響を及ぼしており、こどもと日頃関わりの少ない人も含め、こうした人たちの関心も高めて、こどもの育ちを支える社会の厚みを増していくことが重要であることを示しています。
乳幼児期にかける手間や資金はコストではなく「将来への投資」です
【山口】「こどもをどう育てるか」については近年、科学的な研究の蓄積が進んで、こどもの発達に何が必要で、教育や子育てが経済・社会的にどのようなインパクトをもたらすのかが明らかになってきました。端的に言うと「こどもに対してかける手間や資金の投入は単なるコストではなく、将来の社会、経済を豊かにしていくための投資である」ということです。
東京大学 大学院経済学研究科
教授
【横田】山口先生が指摘してくださったように、乳幼児期の教育・保育や環境の重要性は今、世界的に認められ、OECD諸国をはじめ様々な改革が行われています。一方、日本においては、小学校以降の教育に比べ、乳幼児期の教育・保育の重要性はいまだ十分に浸透していないのではないかと感じています。
【山口】乳幼児期の発達の特性とは、どういうものだとお考えですか。
【横田】かつては、こどもの生活に必要な能力や態度などの獲得については、大人に教えられた通りにこどもが覚えていくという側面が強調されることもありましたが、現在では、こどもは生活や遊びの中で、周囲の環境に自発的・意欲的に関わり自ら働きかけることを通して、生活に必要な能力や態度を獲得していくと考えられています。遊びの中で友達と気持ちがぶつかったり、折り合いをつけたりする経験を重ねる中で、自己調節などの力も育まれていきます。
乳幼児期は、こどもの「やってみたい」と思う気持ちを大切にしながら、こども自らが周囲の環境に関わり、多様な体験をしていくことがとても重要と考えられています。
【山口】経済学でも、質の高い幼児教育・保育を受けることで、こどもの攻撃性、多動性が抑制され、「成人後の就業率向上」「犯罪率の低下」といった形で人生がいい方向に向かうことが報告されています。
【横田】教育・保育の質(内容)もとても重要で、こどもは自分から興味を持ち夢中になって、心と身体を動かしながら遊んだり様々な体験をしていく中で、認知的なスキルや、創造性や好奇心、自尊心、想像力や思いやり、やり抜く力、相手や現実の状況と折り合いをつける力といった社会情動的なスキルも育んでいくものなんですね。一方で、こうした乳幼児期の特性は、保護者をはじめ社会全体で十分に共有できているとは言い切れず、こどもの興味・関心を置き去りにした読み書きや計算、英語の早期教育を期待する声と、こどもの遊びや体験を大切にしたいという思いの間で、現場の先生方が葛藤されているという話も聞きます。
【山口】一般に早期教育が天才を育てるという考えが信じられていますが、そのような根拠はありません。むしろ幼児に先行的に教えることで学力が上がる効果は2、3年で消えてしまうことがわかっています。それに対して遊びを通じて得られる攻撃性を抑える態度やコミュニケーションなどの非認知能力は一生続き、人生を変えるのはそちらなんです。
父親が1カ月育休を取ることで離婚率の低下やこどもの学力指標の向上も
【横田】保護者・養育者の支援という視点から大切なのが仕事と家事・育児の両立支援で、それには保護者・養育者本人だけでなく、雇用主のみなさんの協力が不可欠です。
【山口】最近いろいろな地方で講演させていただいていますが、どこも若い人が減って企業は採用に苦しんでいるし、自治体にとっても「仕事と子育ての地」として選んでもらうことが大事になっています。若い人たちは給与と同時に「育休を取りやすそうな会社かな」という視点でも就職先を見ているんです。世代の価値観が家族を重視する方向に変わってきていて、育休取得率が低いとか、社長が「育休を取るような社員はうちにはいらない」みたいなことを言っていると、応募の時点で避けられてしまう。
実は男性の育休取得というのは、本人と家族の人生を変えるぐらいの強烈なインパクトがあるんですよ。わずか1カ月の育休取得で、父親の3年後における子育て時間や家事時間が増えるという研究がありますし、離婚率が低下する、こどもの学力指標がプラスになるという報告もあります。
【横田】厚生労働省の「イクメンプロジェクト」(※令和7年7月から「共育(トモイク)プロジェクト」へ移行)では、「男性の育児休業取得率が高まると、職場風土が改善される」という効果が報告されていますね。
【山口】女性の方からよくご感想としていただくのは、「育児はチーム戦。夫の支えの有無で、その後の夫婦関係も変わりますよ」ということで、夫は傍観してちゃだめなんです。私自身も経験者として「育休を取るかどうか迷ったら、とりあえず取っておいたほうがいいですよ」と言いたいです。こどもの成長は早いですから。とりわけ中小企業では大企業以上に社長や幹部の影響力が絶大なので、ぜひ「うちは男が育休を取る会社にする」と宣言していただきたいですね。

企業にできる小さな取り組みが、ビジョン実現のための第一歩となる
【横田】ラーメンチェーンの「一風堂」さんで、抱っこなどお子さんの世話が必要なお客様が、こどもを交代で見守りながら食事がとれるように、ラーメンを提供するタイミングを調整する工夫(抱っこチェンジ)を行っています。お店側からするとちょっとした工夫かもしれませんが、子育て中の方もそうでない方も一人の「お客様」として大切にすることは、子育て家庭が外食を利用しやすくなるだけでなく、様々なお客様が気持ちよく過ごせるような質の高いサービスの提供にもつながっていくものだと思います。身近な場面でこうした取り組みが広がっていくことは、社会の中で「はじめの100か月の育ちビジョン」を具体的な行動として形にしていく一歩になるのではないかと感じます。
【山口】企業のそうした姿勢は業績向上につながると思うんです。子育て支援でブランドイメージを向上させることは、ファミリー層をファンにする上で大きなプラスになるはずですし、こどもの頃にそうやってお店の味を覚えた人は、大人になっても通い続けてくれるでしょう。B to Bの会社であったとしても、使う使わないに限らず子育て支援制度が充実しているのは従業員にとって誇らしいことで、社員の退職率を下げ新卒採用も有利になって、長期的にその会社にプラスに働くはずです。
経済学的には、こどもや子育ての支援政策は高い費用対効果があることもわかっていて、政府にもぜひ子育て支援をがんばってほしいと思います。
【横田】ありがとうございます。こども家庭庁では今、「こどもや子育てに優しい社会の実現に向けて、企業でどのような工夫ができるのか」を考えていただくため、企業向けのガイドブックを制作中です。引き続き、企業の皆さんのご理解とご協力も得ながら、「こどもまんなか社会」の実現に取り組んでいきたいと思います。