日本の小学校は「託児所としては申し分ない」

オックスフォード大学名誉教授で、社会学博士の苅谷剛彦氏が、広報誌で次のように述べている。海外の教育研究者の間では、「日本の小学校は、世界中の小学校のなかで最も優れているものの一つである」というのが、共通認識になっているそうだ。

日本の小学生の学力は1960年代から、ずっと世界トップレベルにある。西洋諸国の学校に比べれば、家庭環境の格差は少なく、人種の軋轢も少ない。基本的に、子どもたち同士は平等だ。掃除当番や給食当番を子どもたちが担い、お互いに助け合う心を学ぶ。集団的な規律・規範を子どものうちに身につけられ、犯罪に走る子どもは極めて少数だ。

日本の小学校の高い学力と治安の良さは、たしかに世界的には特出しているだろう。僕も、親が子どもを預けて安心できる場所としては、日本の小学校はベストに近いと思っている。

とりあえず子どもを小学校に通わせておけば、事故やトラブルに遭う機会はほとんどない。一応まともな教育を受けた国家資格者の大人が、子どもの安全を守り、親がやらなくても読み書きの基本を教えてくれる。それも公立校ならば、無料でだ。親が心配せずに働ける「託児所」としては、申し分ないところだ。だが、よく考えると、それだけじゃないの? という気はしないだろうか。

子供に勉強を教える先生
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本当に必要な学びを提供できていない

まだ幼さの残る子どもたちを、治安的な意味で守る場所としてはいいけれど、本当に必要な学びを提供できる環境としては、充分ではない。全体的な学力は世界トップレベルなのだろうけれど、規律を教える名目で、教師たちが子どもを監視・管理している結果の産物だ。

世界トップレベルだからといって、実際に世界で最も優れているとは言えないし、改善点がないわけでもないのだ。海外の教育研究者の高い評価は、あくまで一面的な意味でとらえたい。まず掃除当番や給食当番を子どもたちにやらせるルールは、昔の日本では学校に清掃員や給仕係を雇う余裕がなかっただけで、その事情が現在まで慣習化しているだけである。別に偉いわけではない。

むしろ日本の小学校が「レベルは高い」と評価されることで、社会の変化の実態に応じた児童教育が遅れることを、僕は危惧している。教師による規律と管理、一律的な授業が性格的に合っている子どもはいいけれど、それだけしか用意されていないのは、やはり機能として「託児所」どまりだ。