“オールB人材ばかり”養成される日本の学校
たびたび著書でも言及しているが、日本で行われている義務教育の主な目的は、可もなく不可もない「オールB」人材を養成することだ。
子どもたちの個性を尊重し、個々の才能の育成を目的にはしていない。凡庸なゼネラリスト、または大量生産を課せられた工場で黙々と働く人材、つまり資本主義社会を支えるのに都合のいい労働資源を恒常的に生産していくのが、義務教育の狙いだ。
そのシステムは19世紀の産業革命期のイギリスで生まれた学校制度が源流だ。日本では明治維新以降、国家の軍事力向上と兵士養成のスローガンと深く関わり、現在まで有効に機能している。日本国家の近代発展の根底を支えた、この教育システムを変えるのは、並大抵ではないだろう。
「オールB」人材を効率よく、大量生産する教育システムが日本の経済成長につながった事実は、否定されるものではない。イギリスの産業革命という、発生の歴史も日本とはまるで違う現象が下敷きになったシステムを、よくここまで換骨奪胎して、社会に根づかせたと思う。
AIの時代に“オールB”は通用しない
一方で「オールB」人材を大量生産する環境は、出る杭を叩く、同調圧力の強い社会をつくり上げてしまった。例えば僕のように組織のルールに縛られないで、好きなことに夢中になる人材は、おおむね疎まれる。成績が良かったり、高い成果を上げても、攻撃やいじめの対象になりやすい。
「オールB」が強く求められる環境では、「超AかD以下」のバラついた能力のまま平均を目指さない人材を、叱ったり、排除しようという力が働くのだ。本書で詳しく語るが、「超AかD以下」を排除する環境ではギフテッドの子どもが虐げられたり、読み書きできる腕力の強いバカがいじめを引き起こしたり、さまざまな悲劇が生まれやすい。子どもが学ぶのに適した教育環境のはずはないだろう。
インターネットもスマホもない時代ならば、「オールB」育成の教育システムでも通用した。子どもたちに学ぶことの喜びなど、さほど必要なかったかもしれない。だが、19世紀の外国から採り入れたシステムだ。AIテクノロジーが世界の実像を、すべて変えていこうとしている時代に、どれほど有効でいられるだろう? 小学校に行かないと得られない知識や能力が、いくら残っているだろうか?


