学歴による所得格差はもはや看過できない

社会の公正という観点でも、本人の努力の問題だけには到底できない学歴による所得格差というのは、もはや看過できないのではないでしょうか。加えて、過労や仕事を通じた精神障害の増加(正確には「精神障害に係る労災請求件数」の増加)なども憂慮します。

【図表2】精神障害にかかる労災請求件数の推移
出典=『学歴社会は誰のため』(PHP新書)

よって、間違いなく現行社会の見直しは迫られていると考えますが、私が問いたいのは、口角泡を飛ばしながらの学歴論争やら言説やらは、「具体的に何をどう見直せばいいのかを教えてくれますか?」ということなのです。

これだけ話題が移ろいやすい昨今にあって、いつの時代もどこかしこでも学歴の話題というのは消え失せない点はある種……見ものです。強い影響力の表れだと思いますが、問うべきは、

「学歴について言い争っていて、社会の、とくに『働くということ』そのものがよくなるのでしょうか?」

だと考えるのです。

結論から言えば、労働を通じた社会経済の好循環や公正な配分を考えるのに、人の学歴を言い争っている場合ではない、ということです。「働くということ」の内実を本当に考えているのならば、現状の議論では、はっきり言って……時間の無駄です。はたと立ち止まり、次のような思考のステップを踏みたいのです。

会話をしているビジネスパーソンの抽象的なイメージ
写真=iStock.com/kazuma seki
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【ステップ1】良し悪しや「唯一の答え」を探さない

学歴という情報を企業が知ってありがたがるのにはいくつもの前提があり、その前提自体が、いまや薄氷の上にあることをこれまで示してきました。

そのような大前提に触れることなく、多くのインフルエンサーたちが、諸説紛々の議論を続けているのが学歴論争です。生まれ落ちた家庭という意味での初期値の違いを置き去りにしたまま、「自分は大変だったけどいまやれている」というフレームに固執した、ポジショントークに終始しがちなことも述べてきました。

社会科学においてはさすがに、N=1のお気持ち表明はまさかいたしません。実証的に学歴社会のあり方を探究し、学歴社会を一朝一夕に変えることができないのなら、教育への公的支出を増やすべき、など政策決定者への呼びかけをしてくれています。

よって、学歴社会を所与とした場合の適応策については研究者にお任せするとして、さらに私は次のことにも挑戦したい気持ちでいます。それは、

「学歴にどうすれば『正しい』えさをやることができるか?」

という問いへの答え探しに固執せず、こう問うてもいいのではないか? と思うからです。

「共創のために本来必要なのに見過ごしている情報がほかにあるのではないか? それを追求することで、学歴にえさをやらないことになるのでは?」と。