倒産の危機、成長期……。さまざまな場面で経営者たちは文章に思いを込める。受け手が感化される文章は、何が違うのか。カリスマ経営者の側近が証言する。

新社長に贈った自作の言葉

松下幸之助が初のアメリカ視察に旅立ったのは1951年1月。約3カ月の滞在期間に全社員に向けた手紙を16通送っている。「光、光、光で目をうばわれるばかり」など、大国アメリカの繁栄を目の当たりにしたときの素直な感動を語りながら、社員が目指すべき会社の将来を示す内容である。

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松下幸之助氏の手紙
■松下幸之助氏がアメリカ滞在中に送った手紙

・興奮を伝える

「惚れぼれするような」「光、光、光」など、いきいきとした表現が多く、アメリカの繁栄ぶりが感覚的に伝わってくる。また「日本では考えられません」という表現が何度も登場し、興奮の様子がよくわかる。

・理想を掲げる

レポートのあとに、「日本でも大いに電化の普及に努め」「松下電器ではその尖端を切りたい」など、日本や自社の理想像を掲げ、力強く社員に語りかけている。

「幸之助さんは、社員に誇りとよろこび、感謝の気持ちを抱かせる経営者でした。9歳から丁稚奉公の苦労を味わい、他人から言われてうれしいことが身をもってわかっていたのでしょう」

参議院議員でみんなの党最高顧問の江口克彦さんはそう語る。23年間幸之助の側近として過ごした江口さんは、数多くの言葉を直に受け取った1人だ。

幸之助は自らを振り返って9つの成功要因を挙げているが、そのなかに「理想を掲げた」がある。「250年後に日本を楽土にする」と、スケールの大きな理想を語ったのも、言葉が生み出す力をよく知っていたからだ。

例えば、幸之助が色紙に書き残した「大忍(たいにん)」という言葉がある。

「あるとき幸之助さんから『大忍という言葉はあるか』と尋ねられ、すぐに広辞苑を引いてみましたが、見当たりません。幸之助さんは、それは面白いなぁと満足そうでした。実は幸之助さんの造語だったのです。3代目社長に山下俊彦さんが就任した直後で、新社長に贈る言葉として考えたそうです」

山下さんは取締役の末席から社長に大抜擢され、「山下飛び」と話題を呼んだ。幸之助は、多くの先輩役員を部下にする新社長の苦労を思い、「大忍」という言葉を考えだして揮毫した。相手に合わせて最適の言葉を探し、ときには造語をしてまで伝えたのである。

「幸之助さんは1人ひとりが違うことを認め、尊重する人でした。総理大臣も新入社員も区別なく、同じ目線どころか、誰に会っても『すごい人だなぁ』と見上げるように接していました」

アメリカ視察中の手紙も、社長という立場を感じさせない。その人間味のあるメッセージに社員が励まされたことは容易に想像できる。「経営の神様」が残した言葉がいまも多くの人に指針を与えるのは、こうした奥深い人間観に根ざしているからだろう。