PANA=写真

アベノミクスで市場が動き始めたのは野田佳彦前首相が衆議院解散を明確にした昨年の11月14日だった。以後の半年間で日経平均株価は70%も上昇し、円・ドル相場は21円以上、円安となる。長期金利の乱高下は不安要因だが、企業の業績向上や景気の拡大が伝わる。日本経済の風景が様変わりした感がある。

昨年12月に再登場した安倍晋三首相は、大胆な金融緩和、機動的財政政策、成長戦略を脱デフレの「三本の矢」と唱え、政治の力で経済を動かしていく姿勢を打ち出した。最初に金融政策の変更に着手する。今年3月に緩和論者の黒田東彦(元大蔵省財務官)を日本銀行の新総裁に選んだ。黒田日銀は物価上昇率2%を目指すリフレーション政策を採用し、4月4日に資金供給量を2年で2倍に拡大する「異次元の金融緩和」を決めた。

安倍登場以前も、世論調査の政権への要望事項では、いつも「景気・雇用」がトップで、国民の経済への関心は強かった。だが、野田政権までは「デフレ脱出は困難」「人口減社会では成長は望めない」といった見方が有力で、第1次安倍内閣も含め、「政治で経済を動かす」という積極的な取り組みは見られなかった。

ところが、「安全保障・外交・憲法」系が得意分野の安倍首相は、第2次内閣で「経済最優先」を唱え、自ら「経済宰相」を目指す姿勢を打ち出したのだ。

アベノミクスとリフレ派論客の出会い

アベノミクスという言葉を最初に使ったのは、安倍の盟友と言われた中川秀直(元官房長官。現在は引退)である。

「2006年の第1次安倍内閣の国会での最初の代表質問で、自民党幹事長として、僕が『財政再建と経済成長を両立させるのがアベノミクスともいうべき経済政策の基本哲学』と言った」

だが、1年の短命政権に終わる。アベノミクスは手付かずのまま頓挫した。

安倍は失意と零落の日々を余儀なくされた。09年の総選挙の直後、急死した中川昭一元財務相に代わって、後に安倍擁立運動の中核となる「真・保守政策研究会」(後に創生「日本」に)の会長を引き受ける。そろりと活動を再開した。