「ガトーフェスタハラダ」を運営する菓子製造の原田(群馬県高崎市)は、1袋あたり約100円のラスクを中心に年商200億円を売り上げている。パン屋の副産物として売られていたラスクを、どうやって贈答用の菓子に変えたのか。原田義人社長に、ノンフィクション作家の野地秩嘉さんが聞いた――。
「ガトーフェスタハラダ」を運営する原田義人社長(3月14日、群馬県高崎市)
撮影=プレジデントオンライン編集部
「ガトーフェスタハラダ」を運営する原田義人社長(3月14日、群馬県高崎市)

田園地帯にどーんと出てくるギリシャ風神殿

群馬県高崎駅から大宮方面へ向かう沿線には、のどかな田園風景が広がる。ところが、高崎駅を出たとたんに進行方向の右側に白亜のギリシャ風神殿が現れる。あっ、なんだこれはと思ったのもつかの間、高崎から3つ目の駅、新町を過ぎると、今度は左側に、もうひとつ、神殿のようなビルがどーんと出てくる。こちらもまた白亜で、前面にはイオニア式円柱が佇立している。

JR高崎線に乗ると自動的にギリシャ時代にタイムスリップするのではない。神殿はいずれも菓子メーカー、ガトーフェスタハラダの高崎工場と本社工場だ。同社は主力商品のラスク(商品名グーテ・デ・ロワ=王様のおやつ)を始めとする菓子類の製造販売で年商200億円を築き上げた。従業員数927人、全国に31店舗を擁する老舗企業である。

同社の創業は1901(明治34)。当時は松雪堂という和菓子店だったが、戦後すぐの1946年には製パンと洋菓子を売る店になった。町のパン屋さんとして近隣に親しまれてきたのだが、1990年代から売り上げが伸びなくなった。理由はスーパーマーケットやコンビニでパンを買う客が増えてきたことだ。

本社隣にあるガトーフェスタハラダの本館「シャトー・デュ・ボヌール」
撮影=プレジデントオンライン編集部
本社隣にあるガトーフェスタハラダの本館「シャトー・デュ・ボヌール」

建築畑出身からパン屋社長の道へ

現在でも、一般の人がパンを買う場合、スーパーが4割、個人のベーカリーが3割、ベーカリーチェーンが1割5分で、コンビニその他が残りといったところだ。(ファンくる「パンに関する意識調査」2022年

大規模スーパーの進出、コンビニの数が増えたことで、町の商店街にある個店は減少している。

だが、ガトーフェスタハラダ(当時は原田ベーカリー)は大手資本に対して立ち上がった。建築畑出身の婿養子で社長の原田義人が最愛の妻、専務の節子とともに新商品開発を始めたのである。

原田は語る。

「私はゼネコンで働いていたのですが、妻と結婚したら後継ぎがいないという。じゃあやりますという形でパン屋さんになりました。私はもともとパンもお菓子を作ったことがなかったから、パンの講習会に行ったり、パンの専門学校にも3カ月通ったりしました。何とか商品を作れるよう努力しながら経営していたのです。1998年、義父に代わって社長になりました。当時の従業員は14、5人でしたね。

社長になった当初は赤字でしたが、仕事はありました。パンだけでなく、ケーキも製造していましたから結婚式場への卸といった需要があったのです。ところが、近くにスーパーの大型店が進出してきたのと、コンビニエンスストアの店舗数が増えたのがいちばんの打撃でした」