4月10日、静岡県の川勝平太知事が辞職願を提出した。自身の不適切発言への責任やリニア中央新幹線問題に区切りがついたとして辞める意向を示していた。神戸学院大学の鈴木洋仁准教授は「川勝氏は日本を代表する経済学者だったが、政治家としては挫折を余儀なくされた。そこには『学者だから』という甘えがあったのではないか」という――。
退職届を提出し、報道陣に囲まれながら知事室に向かう静岡県の川勝平太知事(中央)=2024年4月10日午前、静岡市
写真=時事通信フォト
退職届を提出し、報道陣に囲まれながら知事室に向かう静岡県の川勝平太知事(中央)=2024年4月10日午前、静岡市

批判を集めた川勝知事が突然の辞任

静岡県の川勝平太知事が、辞職する。

4月1日の静岡県新規採用職員への訓示内容に対して、職業差別だとの批判を浴び、翌日の夕方に突然、6月議会の終了をもっての辞意を明らかにした。

そのまた翌日の記者会見では、「リニア問題は大きな区切りを迎えた」と、その理由を明らかにしたものの、その1週間後の4月10日、辞職願を県議会議長に提出した。

辞職の理由も時期も二転三転する姿勢はもとより、リニア問題への対応、さらには、かねての失言への批判が高まっている。

川勝平太氏は、15年前に静岡県知事に当選するまでは、経済史の研究者だった。

代表作『文明の海洋史観』(中公文庫)は、陸地だけを考える歴史の見方を批判し、「海洋をとりこんだ歴史観」(同書、154ページ)を示し、読売新聞主催の読売論壇賞を受けた。『経済史入門』(日経文庫)は、200ページほどの短い新書サイズの教科書ながら、大きな枠組みで経済の動きをとらえて、定評があった。

日本を代表する経済学者から政治の道へ

早稲田大学政治経済学部を卒業し、英国オックスフォード大学で博士号を取得したのち、母校である早稲田大学で教授を務め、静岡文化芸術大学学長を歴任している。学者だけではなく、組織のトップとしての手腕を期待されて、静岡県の石川嘉延・前知事のブレーンを経て、15年前に知事選に当選したのである。

とはいえ、偉い学者先生の看板(だけ)で静岡県知事になったわけではないだろう。

初当選時の2009年は、自民党から民主党への政権交代が大きなうねりとなっていた。7月5日に投開票された静岡県知事選は、翌月の総選挙の前哨戦だった。当初は、自民党から立候補の要請を受けた川勝氏は、民主党からの全面バックアップもあって接戦を制する。

初めは勢いに乗った部分があったものの、その後は3回の選挙に危なげなく勝利している。東は熱海市から西は愛知県の手前の湖西市まで、広く、地域色に富む静岡県全域から幅広い支持を15年にもわたって集めた背景には、何があったのだろう。

その理由は、川勝知事の、学者としての栄光から、政治家としての挫折にも通じるのではないか。