30年前の著書から読み取れる「川勝知事の価値観」

確かに、川勝知事の発言すべてが報道されないことは事実である。

だが、ふつうは問題のある点のみを切り取って報道するのが当然であり、取材記者の価値判断に任される場合が多い。

ただ川勝知事の「女性差別」はいまに始まったことではない。

それは知事本人が過去に記した文章からはっきりと読み取れる。知事本人の文章だから「切り取り」などではなく、そこに川勝知事の「本性」がはっきりと表れている。

1995年12月、当時早稲田大学教授だった47歳の川勝知事は、著書『富国有徳論』(紀伊国屋書店)を発刊した。

その「あとがき」において、京都大学で起きた「セクハラ疑惑」で、京大辞職後、禅寺の東福寺に逃げ込んだ矢野とおる・元京大教授を取り上げている。

矢野氏の「セクハラ事件」は、ウィキペディア「矢野事件」や小野和子編著『京大・矢野事件』(インパクト出版)に詳しい。矢野氏は1999年12月、63歳で亡くなっている。

川勝知事の「あとがき」では、矢野氏が逃げ込んだ東福寺へ抗議に訪れた女性たちを矢野氏の「禅修行」をじゃましたと攻撃し、女性たちを簡単に迎え入れた東福寺管長を非難している。

セクハラをした矢野氏を擁護し、被害女性を非難

最も重要な点は、川勝知事の「あとがき」が、矢野氏のセクハラ疑惑に全く触れていないことだ。だから、どのような女性たちか、なぜ、東福寺を訪れたのかさっぱりわからない。

彼女たちは矢野氏のセクハラを追及する大学の女性教官らで、疑惑の解明を求める署名を集めて、東福寺の管長に面会した。

それなのに、川勝知事は、東福寺を訪れた女性たちを「夜叉の相貌を露わにした彼らの息づかい」と侮辱し、「女人の要求(私怨)に理解を示し、くだんの居士(矢野氏)を寺から追放すると言明」した東福寺管長を非難している。

実際には、矢野氏のセクハラとレイプを訴えたのは、矢野氏に最も近く、弱い立場の女性秘書たちである。

ようやく勇気をふりしぼってセクハラ被害等を訴えたが、矢野氏は禅寺に逃げ込んでセクハラ疑惑を大学側とともにうやむやにしようとした。

その後、矢野氏は文部大臣(当時)に辞職承認処分取り消しを求める行政訴訟、4件のセクハラに関する民事訴訟を起こしたほか、セクハラ、レイプを訴えた元秘書には、名誉棄損による500万円の損害賠償を請求した。

裁判の途中で矢野氏はセクハラ、レイプ等を認め、訴訟は矢野氏の完全な敗北に終わった。