日本につくった「ハーバード流人材養成教室」

私がマッキンゼーでやっていた世界化の仕事は、世界化のブームを迎えていた日本企業のためにもなった。

日本ではMBI(Multinational Business Institute)という組織を立ち上げた。日本企業のグローバル化の最大の障害は人材ということで、グローバル人材の養成を目的とした会員制の養成機関を作った。

30社の会員企業から、10年間にわたって毎年3人ずつをMBIに派遣して3カ月間の集中セミナーを受けてもらう。 30社で年間90人、10年で900人のグローバルな人材を日本の企業社会に輩出できるという計算だった。

3カ月のカリキュラムはハードで濃密だ。

最初の4週間は日本でのオリエンテーション。そのためにマッキンゼーの新しいオフィスがあった大和生命ビル(現NBF日比谷ビル)の中、MBIの専用部屋を設け、ハーバード流の階段教室に作り替えた。

次の4週間はアメリカでの実地講義。サンフランシスコからスタートして、ロサンゼルス、中部はクリーブランドかシカゴに寄って、ゴールはニューヨーク。それぞれの都市で、アメリカでのビジネスのやり方や、日本企業が遭遇する諸問題、陥りやすい誤りなどのレクチャーを受ける。週末はリゾート地でアメリカ流のバカンスを体験してもらった。

さらにヨーロッパに渡ってイギリス、ドイツ、フランス、スペインなどを回って欧州でのビジネスを学び、最後の1週間は日本に帰ってきて復習と反省会をして終了である。

参加したビジネスマンは40歳戦後の同世代。3カ月間、寝食を共にするから30人のメンバーは仲良くなる。20年後の今日、それぞれの組織で“国際派”としてリーダーシップを発揮しているし、いまだに同窓会が続いているという。

MBIの運営にはマッキンゼーの各事務所の協力が欠かせなかった。30人の面倒を見るだけでも大変なのに、ゲストスピーカーを呼んだり、ビジネスの最前線を学ばせたり、「何で日本企業のために、ウチの事務所が犠牲を払わなければいけないんだ」という声もないではなかったが、取締役会や常務会などでこう説得した。

「日本企業が将来、良き世界市民としてやっていくためにも、日本でいいコンサルティングをするためにも世界で通用する人材は不可欠。日本企業の世界化のために皆に協力して欲しい。マッキンゼーは世界企業なのだから率先してやるべし」

その頃、すでに私は取締役会のメンバーだったし、常務会のメンバーにもなっていた。だからこそ、MBIのようなコンサルティングと直接関係ない教育活動も文字通り全社を挙げて応援してくれた。

MBIが30回を数えた1994年に私はマッキンゼーを辞めるのだが、その時点でもうやり残した仕事はないと思えるくらい、偏見のないグローバル化を進めることができた。

(次回は《私が変えたマッキンゼー(3)—なぜ社長にならなかったか》。12月17日更新予定)

(小川 剛=インタビュー・構成)