「落語のオチ」に本質的な意味はない

あれは落語家の余興ですから、一席の落語とは別物です。落語の演目として、多くの方がなんとなくイメージできるのは「寿限無じゅげむ」「饅頭こわい」「時そば」くらいでしょうか? ですから、なにか落語の話をすると、すぐに、「その落語のオチはなんですか?」と聞いてきます。

ところが少し落語を知っている人は、そんなことは言いません。「落語のオチは、いいかげんなものも多い」ということを知っているからです。もちろんよくできたオチもあるのですが、とってつけたようなオチや、ただのダジャレ、今となっては意味がよく通じないオチもあります。

最後に「そこは私の寝床です」なんてキメられても、普通の人は「?」でしょう。さらに落語は、はなしの途中で平気で切り上げたり、「〜の由来話でした」なんて言って終わる場合もあります。つまり途中が面白ければ、いちおう区切りがついたところで終わればいいのです。

もう一つ。欽ちゃん(萩本欽一)に番組で、コント55号当時のことを喋ってもらったことがあります。萩本さんは新人時代、プロデューサーにコントのネタ数を聞かれ、「無限!」と答えたとのこと。設定さえあれば、欽ちゃんは二郎さん(坂上二郎)をいじって、ツッコんで、転がして、いくつでもコントができるということ。

浅草演芸劇場
写真=iStock.com/TkKurikawa
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「ドカーンと受けたらオチだよ」

かつて岩城未知男さんが出した『コント55号のコント』という古い本を持っています。台本集です。岩城さんは、一般にはコント55号の座付き作家と言われている方。この本の「作者の言葉」には「私は、彼等のコントを二千篇近く書いて来た」とある(たぶんシャレだと思う)。

さらに「私は勝手に作者の立場でコントを書き、それを素材に彼等も、自由に演者の立場で別のコントに作り直すと云う様に、互いに、別の所で、別の作業を続けて来た」とある。これは本当でしょう。ですから、読んでみると一本のコント台本としては実に短い。その設定のキモをつかんで、欽ちゃんは長いコントを作り出していたんでしょう。では、コントのオチは?

「ないもん。オチって、ドカーンと受けたらオチだよ」

と萩本さんは答えました。つまり爆笑のコントを展開して、持ち時間が経過して大きな笑いがきたところで、欽ちゃんが「おしまい!」と頭を下げたら、結果的にそこがオチになるということ。

たしかに、『コント55号のコント』を読んでも、どのコントもオチはなんとなく一区切りになっているだけです。そう言われて思い出してみると、「その話、オチは?」とツッコまれる場合は、話の展開が面白くない時ではないでしょうか。

だらだらとたいして面白くもないトークを続けているから、せめてオチくらいバシッと決めてくれという意味でツッコんでいるのでしょう。トークの内容が面白ければ、わざわざ話の腰を折ってまで「オチは?」などとは聞かないのではないでしょうか。