ノートは自分さえ読めればいい

ノートというのは、本当は、自分さえ読めればいいわけです。友達に貸すという場合もなくはないですが、自分の勉強のためのノートだったらきれいに作る必要はまったくなくて、ぐちゃぐちゃっと書いた字でも自分が読めればいいのです。矢印とか囲みなども、定規を使ってきれいにやりがちですが、そんなことをする必要はなくて、矢印はぐにゃぐにゃでも構わないし、あとから上にいっぱい書き足しても構わない。

手書き数学ノート
写真=iStock.com/dan_alto
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少し発想を転換してみると、実は汚いノートでも十分に効果があるんです。だから、きれいなノートを作らない、という方向に意識的に変えました。自分が試験の間際に見て、ある程度思い出せればそれでいいというふうに意識的に変えて、きれいに書くということをいっさい捨てて、最低限のところだけをやってみようと考えました。

次の試験のときにそうしてみたところ、これが、たまたまかもしれないけれども調子がよくて、このやり方のほうがいいじゃないかと思いました。

ノートがない方がしっかり覚える気構えができる

きれいなノートを作ることを意識的にやめて、汚くてもよいというところまでいってみて、ノート作りよりも自分の頭の中で考えたり、整理をしたり、一生懸命覚えようとしたり、という作業に時間を使ったほうがずっといいということに気がつきました。そうするとさらに、汚いノートもいらないんじゃないかと思い始めて、メモ程度のものでいいのでは、と考えました。試験勉強の最後の最後に、本当に覚えなければならない重要単語とか重要年号を書いたものだけは作る。それは試験の間際に見られるメモ程度のものでよくて、あとはノートはいらないんじゃないかと。必要があったら参考書だとか教科書の横っちょに矢印を引いたりすればいいんじゃないかと思い、できるだけ不精ぶしょうができるように、もっと節約をしてみました。

そうすると、意外にこれが調子がいい。節約ができるだけではなくて、ノートというのは書いてしまうと安心してしまうところがあるんです。それを逆手にとって、ノートがないとなれば、しっかり覚えなければいけないという気になるんです。なので、しっかり覚えるためにはノートがないほうがむしろ気構えとしてもいいということになります。普通とは逆の発想なんですが、意外にそのほうが頭に入るということがわかりました。