対話を望むもう一つの理由は、経済である。08年に総統に就任した国民党の馬英九氏は、大陸との間で「大三通」を打ち出した。「通商」「通航」「通郵(通信)」という3つの交流を強化する大三通政策によって、大量の中国人が台湾に到来し、観光業を中心に経済が大いに潤ったのだ。

逆に台湾からは企業が大陸に行って現地に投資をした。通常、台湾から大陸に行くときの空路は香港経由に限られていたが、その他の多くの都市に直行便が就航した。香港の隣にある深圳しんせん市は香港系企業のテリトリーだ。そこで台湾企業は、深圳市の北側にある東莞とうかん市を中心に進出した。

当時は台湾企業が地元に落とす金を目当てに、多くの中国人が東莞市に集まった。馬英九総統のあとは民進党政権に代わったため、現在の東莞市には往時の熱気が残っていない。しかし、台湾企業は外省人を中心に飲料・食品、鉄鋼、セメント、繊維などの領域で今も中国大陸に深く浸透している。

なかでもインパクトがあったのが半導体だ。半導体は安全保障上も重要な産業だが、馬英九氏は大胆に規制を緩和し、TSMCの江蘇省の工場建設を可能にした。その様子を見て、アメリカの台湾系起業家も大陸を目指すようになった。台中関係の改善で、関わったみんなの懐が温まったのだ。

しかし、台湾に富をもたらした大三通も、長くは続かなかった。14年に香港で起きた反政府デモ「雨傘運動」が、中国共産党に鎮圧される様子を見て、台湾の人たちは「明日はわが身」と思うようになった。

その結果、強硬路線の民進党に支持が集まり、米国寄りで、中国共産党嫌いの蔡英文政権が16年から2期8年続いている。民進党は台中対立に露骨にアメリカを引きこんだため、中国もますます強硬になっている。高まる緊張感に不安を覚える台湾人が多かったことも、今回の総統選で民進党への支持率低下に影響している。

台湾を分断させている根深い「戸籍問題」とは

私は30年ほど前に、李登輝総統(当時)に新しい戸籍制度の提案をした。当時の台湾では、大陸に戸籍を持っている外省人は、本省人に対して優越感を抱いていた。外省人は数で劣るものの本省人よりあらゆる面で優遇されており、両者の溝が深まっていた。

そこで、現行の戸籍制度を撤廃して、「台湾で生まれた人は全員、台湾籍」にする。そうすれば外省人と本省人の区別がなくなり、いずれみんなが一様に台湾人となる。しかし、李登輝氏は「戸籍問題は時間が解決する。今は(外省人を刺激して)国内に混乱を引き起こすべきではない」と私の提案を拒んだ。李登輝といえども、日本での国会に相当する「立法院」で、権力を握る外省人を敵に回す勇気はなかったようだ。

そのツケが回ってきたのが、今回の総統選である。蒋介石が台湾に進行してからすでに75年が経過している。30年前に戸籍制度を刷新していれば、台湾人のほぼ全員が台湾籍になっていたはずだ。そうなっていれば民衆党の存在意義はなく、野党が国民党に一本化され、民意のとおりに対話路線を掲げる候補が総統に選ばれていただろう。

残念ながら現実にはそうならず、今回の総裁選では強硬路線の総統が、ある意味で民意に逆行して誕生した。しかし、約6割の台湾人は対話路線を望み、立法院の議席数でも野党が多数で、議長は国民党の親中派・韓国瑜かんこくゆだ。

日本も、台湾有事の発生を望んでいない。台湾人が大三通のような過去の栄光を思い出し、中国と話し合いをして歩み寄ることはできるはず。中国共産党も、自国経済の大部分は200万人を超える台湾人が大陸で活躍している成果ということを認識し、いたずらに対立をあおるべきではない。民進党の新政権には、今回の選挙結果を謙虚に分析し、“台湾人”の民意を汲み取った対話路線の政治運営を期待したい。

(構成=村上 敬)
【関連記事】
台湾人のホンネは「中国から独立したい」ではない…台湾の総選挙がどっちつかずの結果となった根本原因
だから共産党アレルギーは消えない…党首は女性に交代、政策も悪くないのに、共産党が怖がられる根本原因
元海自特殊部隊員が語る「中国が尖閣諸島に手を出せない理由」
なぜアメリカ人は「トランプ返り咲き」を待望するのか…インフレに苦しむアメリカ人にトランプが放った一言
「次の衆院選で政権交代」は本当にできるのか…中核市長選挙で2連勝した立憲民主党に残された「大きな課題」